見出し画像

もう一回観に行ってから真面目に書こうかと思っていた【KPR/開幕ペナントレース】の『HAMLET|TOILET』の話。

ワシが見た公演をもう一回観に行くかと思うのは実質ないに等しい。そういう行動をしたのは人生の半分過ぎた頃で終わっている。チケット代の高騰とかそういうのはまったく関係がなく、一期一会での水物な公演というのは流動性が高いのでその流動性の質と再現性の質、作品が持つ底力のようなものを感じない限り、観たくないのである。(己の体力問題含む)

あと己の知識なり、経験なりを掘り起こす、刺激しない限り興味ないし、固定の役者を推すという感覚も実際ないのでリピ客感覚ないし、それでも役者を観に行こうかなと思うのはやはり自分の公演でのオファーの確率という打算がある。あるよ、それゃ歳食ってるもん、純粋ではない。

が、リピできなかったので焼き土下座と自分のプスプス不完全燃焼が渦巻いていたりするゆえの反省文でございます。


ワシはもともとKPR/開幕ペナントレースでの作・演:村井雄さまは頭いい+頭おかしいと思っていたのは前回も書いたが、そこに高崎さんがいて、G.Kさんがいて、大森智治さんは直前に降板になってしまったが、Wキャストだった松尾祐樹さんが東京公演を走り切った。大変だったと思う。

ワシが散々これは壮大な「罠」だといていたのは開場中から流されてるものに感じてて、合間でもそうで、同伴した山崎正悟は「スルメ(あとから振り返ると味が!みたいな、噛めば噛むほどみたいな意味)みたいなことを後から話してたし、ワシも別に100%感じ切ってるわけではないし、正解はない。それでもやらかしている目の前に広がる現象は二人して別ベクトルとしても何かを受け取っていて、何かをやらかすんだなというのは感じていた。それは役者の視点とワシの視点が違うものある。もちろんそれは観客それぞれ違う。でもそのやらかしがどこからどこまで計算なのか、自然発生的なものなのかってところをね、感じさせない、狡くもなく、いやらしさもなく、昇華されていたと感じた。

「言葉」というのは翻訳次第で変わる。シェイクスピアに関してはそれが如実に出るものだと思っているし、そこをある種逆手に取っていたなと感じた。だから観劇した人らが「あれはちゃんとハムレットだ」と感想したのは間違っていないし、そこまで落とし込まれているものではあった。

その罠、言葉なり比喩なりをずっと貼りめぐられさせていて、一応役者な山崎正悟はシェイクスピアなりの知識量は基礎的な最低限のところは押さえてはいたが、純粋に台詞をリピートするシーンで高崎さんやG.Kさん、松尾さんが普通なら(いやらしさとしとくけど)多少なり言い回しを変える・ずらしたりするところを一言一句音を一切変えずに同じように再現し続けることに「うぉー」となっていた。自分でも再現性ゼロとしている山崎正悟的にはちょっと衝撃的で、村井雄さまにしろ、繰り返す彼らのパワーに「容赦ない…ワシとは違う悪魔を見た」とうるさかった。何が意図的で偶発的なのかわからないと言っていた。

ワシは実質「再現性」というのは自分の作品に求めていないと言えば求めてない。いらないのは役者個々の欲でしかなく、そこに重点置くと「再現性なんてどうでもいい、そんなもんでワシの作品は揺るがないとは思っている。が、これは作・演なりが役者に何を求めているか、作家性なりとして作品への意図・狙いだとは思うのでそれぞれだ。そして別に観客を置いてけぼりにはしていない、多分大体の人達は多分。(あくまで多分)

陳腐な言葉で言えば「独自の文学性」のようなものだと思う。村井雄さまにはそれがあるのはわかりきっていて、そこに身体はって作品作ってるKPR/開幕ペナントレースの6年ぶりの新作はやはりおかしいという誉め言葉しかないなと感じる。

『HAMLET|TOILET』はどうとでも深読みも浅くも解釈が出来る、そして個人的には「試しやがるなぁ」と思ったから「壮大な罠」だった。別に観ながら頭使うわけではない、そうではないんだが、シェイクスピアに問わず何が己の知識・経験なりに蓄積されているかでどうとでも変わる。これは演劇的な知識量とかだけではなく、すべてに置いてだ。別に浅く解釈したって楽しかった・勉強になったと山崎正悟は言うていた、そう思うし、それでいい。

少なくともワシはそう思った。


全身白タイツなり、彼らのパフォーマンスを「アート」として枠に入れるのは簡単な話だと思う。でも個人的にはあれは「アート」ではないと思う。いや「アート」と言えばそうなんだけど、白塗りな暗黒舞踏にチマっといた自分的にはあれは「なにものではない現身・存在」だと感じる。でも最先端と言えばそうである。ゼンタイ流行ってるしな、海外。…理由なんぞ聞いてないからいや知らんけど、個人の感想ですけども、うまいよなと思う。

オフィーリアがオフィーリアに見えただけで勝ちだろ、あれ(笑)

近年、というわけではないが、リアリティという点ではあの手の手法をうまくやってるのはやはり村井雄さましかおらんと思うし、それを形に出来るメンバーというのはやはり限られていると思う。

いい座組だよ、敬意を称して、本当に。


結局もう一回観に行けなかったんだけども、これから豊岡・海外と続くわけですが、もれなくきちんと強化されての公演が続くわけだど、最終的にもう一度東京で再演してもらいたいなと思う。

■[日本・兵庫]
2023年09月23日(土)〜24日(日)
会場:ワークピア日高

■[アメリカ・ニューヨーク州 チャタム市]
2024年01月05日(金)〜06日(土) ※現地時間
主催・会場:Performance Spaces for the 21st Century

■[アメリカ・ニューヨーク州 ニューヨーク市]
2024年01月10日(水)〜13日(土) ※現地時間
主催・会場:Japan Society

オチ:もう一回行けなかったことを焼き土下座しつつ、ラスト東京公演やったら行くぜ!っつうのと「言葉」というものの広いものにとてつもなくしみじみとブツブツった公演でございましたよ。大事にしない人らは多く、すんげー大事にしてるなと後から考えても思いつつ、やる気のないワシらは「壮大な罠」「スルメ」論を相変わらず会うと言い続けているくらいの代物だ。機会があるなら行ってみるとよろしか!


ちなみにワシの遥か昔に「トイレに真理を見た」話はそのうち(笑) 







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?