笑うということ、笑っていられること。
写真は#007を撮影する時に、脱力させていた山崎正悟である。ぬいぐるみに襲われているのは意味はございません。よくワシが投げつけてるだけです。この時、原稿渡して、稽古+撮影するまでかなり時間の余裕があったんだけど、いざ撮影するで?という日に「覚えられなかった」と呟いたので、「その場合はさっさと言え、言っていいんだよ」と雑談タイムが半日くらい続いていた記憶。
常識的に考えたら「覚えられなかった」と言うことは言えない。どんな現場でもまぁそうです。だけど、ワシはこのjunksharp_VWで若者ズ(渡辺靖之+山崎正悟)にほぼタブーだろうというその言葉を言える環境にしたいのがあったりしたので、そういう意味での説教雑談はした。
原則、稽古と言うよりリハやけど、リハ+稽古の時にワシはほぼ何も言わない。放置プレイしている。そもそもいろんなことを放置プレイするけど。それでも彼らは彼らなりに自主練して、考えて足掻いてその日に来る。来るのは知ってる、わかってる。それが他の人らより少ないとしても、彼らなりに自分を追い詰める。だからこそ、ワシは「覚えられない」のならそれはその日になるまでに言えと。
決めてるルールは一つ。撮影するとした日には必ずそれは撮る。
「言えないことを言う」「言っちゃいけんことを言う」というのはさ、やはり難しいことである。本人の葛藤もあるし、常識と言ったら常識だし、普通は期限までに覚えてこなかったら怒られたり、これが複数なら他の人に迷惑をかけて、何も進まない日になってしまうから。
正直、どんな物事にしろ、「わかりません、教えてください」とかいう人にはワシはかなり優しくない。自分で勉強しやがれ、調べろと言う。なんで自分が生きて来た年月で四苦八苦して得たノウハウやらを「お願い」で楽しようとする奴らに教えなきゃいけないんだと、分け与える限界はあるさ。
でも若者ズにはそれはないんだよね、ないから珍しく長期間として付き合うというか、遊ぼうかなとなってるんだけども、彼らに足りないものとしたら「自由」だ。ずっと、今もいろんなプレッシャーの中にいる。それを抱えているからこそ、迷走と言うか、手足伸ばしきれておらず、脱力も出来ない。どうしても追い詰めないといけないことはあるし、そういう時もそりゃあるけども、それはこのワシのやらかす場では求めていない。
ワシの書くものである限り、そこに制限はあるのだけれども、普通なら覚えられるものが入らない原因や言ってはいけないとされることを言えるという、謎の寛大さと愛を受け取りやがれと思う。しまいにゃ間違えようともワシは責めることはしないし、ボロボロすぎるとか、本人が撮り直したいと言わない限り、1発勝負狙い。
稽古で台詞入れつつ、遊ぶとかよくあるけれど、それともまた違うんだよね。ワシは若者ズに笑って、笑いながら、そして楽しめるなら楽しみつついろいろ試してと思う。緊張感なんて、今後現場行ったらいつでもどこでもすぐあるし、それも長時間・長期間続く。稽古終わりによく飲みに行って気分転換というのあるけれど、そうではなくて、野放しの中で委縮しやすい若者ズの性質上、好きにやってみぃよである。その場で気分転換しろだ。そういうのっておそらくワシのこの謎のやらかす遊び環境でしかないから。それぞれ空いてる日に集合ーみたいな緩さ蔓延でしか進めてなかったし。
自由にやって、それを形にするというのはやってそうでやってないからね。何かしら確実にプレッシャーあるし、自由だと言ってもそれでもプレッシャーは発生する。負荷を必要以上にかけたくないんだよね。まぁこの遊びで自分にも負荷かけたらワシが死ぬわ。
自分が好き勝手やることに戻りたかったのもあるけど、自慰ではなくて、笑いながら作るっていうとこをしたいだけですが。もれなく珍しく一人でツボ入ってゲラゲラ笑って、最低な撮影環境と言うか、まぁ最低なゲス再び。
笑うというのはいいことだと言うけれど、チャレンジして笑えるっていうのは限りあるから、やはり。それは損だよ、損してるよ。
そんなこんなで「覚えられない」で寝不足化していた山崎正悟、半日以上雑談して、脱力と切り替えさせつつ、さて!とベットに寝かせたらもれなく半分ほんとに脱力しすぎて意識失いかけながらやっていた#007や。
さてまだ溜まってるんで、これからどんな若者ズの顔が出てくるかしらね。