何故三鳥派の事を書くのか

触れられたくない過去。 そんなものは誰でもある。
人でもあるのに、それが寺院や組織なら尚更だ。
日蓮正宗、大石寺にとってのそれは「三鳥派」の事だろう。 そもそも大石寺は異流儀と闘ってきた歴史がある。
我々が今日 振るう教学体系があるのは先達が日々闘ってきたからに他ならない。
上代に六老僧と別れそして富士門流八本山が別れて、それらが落ち着いたのが
要法寺と大石寺が通用した頃。 織豊時代である。
そして、徳川家康が江戸に開府して 時代が安定してきた三代将軍家光の頃に起るのがこの三鳥派である。
三鳥派は言わば、大石寺から起こった初めての異流儀である。 それまでは日蓮大聖人の正統、富士の正統で闘っていたものから「大石寺の正統」を示すようになる。
大石寺の正統を示すものは2つ。ひとつは本門戒壇之大御本尊。 もう1つは唯授一人血脈相承である。
当然本門戒壇之大御本尊は大石寺に安置されている。
動かさない限り正統は示せない。
そうしたら言うことは1つ。
大石寺の唯授一人血脈相承の否定である。

血脈相承を否定すれば大石寺の正統を示せるようになるという論理は三鳥派の論理である。
今の異流儀は所詮三鳥派から借りてるだけなのだ。
新しいものなんかひとつも無い。創価学会や、顕正会も三鳥派の模倣でしかないのだ。

大石寺にとって三鳥派は触れられたくない過去でありながら 今も尚それと向き合い、日々闘っている。

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