身分用語について(2) 「平民」「土民」「百姓」
網野善彦氏の『歴史を考えるヒント』をもとに、案外と知らない身分用語についてまとめている。TVの時代劇やマンガ程度であれば、少々のまちがいは演出上の愛嬌だが、学校の授業や社会啓発においては、せめて「知識」としては明確であってほしい。
「平民」とは「身分呼称」なのだろうか。それとも人々あるいは民衆を表す「言葉」なのだろうか。
網野氏は、奴隷ともいえる不自由民である「家人」「奴婢」、「品部」などの職能民に対比する言葉として、普通の人々を「平民」と称していたと言う。さらに、古代においては、「異種族」「異民族」に対比させる場合にも用いられたと言う。その際、対比の基準が「租税」を課せられていたかどうか、すなわち税が免除されていたかどうかである。「平民」とは「基本的な成員として標準的な課役を負っていた人々」であった。
同じ言葉でも、それぞれの時代背景によって意味内容を使い分ける必要がある。<集合概念>として「人民」や「国民」そして「平民」を捉えなければいけないが、また<対比概念>としても捉えておくべきである。つまり、普通の人々を表現するこれらの言葉は、同時に「それ以外」「そこに含まれない人々」を規定する。もし何らかの理由が境界線となれば、区分として働くだけでなく排除・排斥の作用もする。例えば、「ケガレ」が境界の理由となれば、そこに<賤視観>や<卑賤観>が生じて、差別が生まれる。
次に「土民」について考えてみたい。
「土民」として思い浮かぶのは「土一揆」である。教科書では「正長の土一揆」(1428)に関連して「土民」を説明する。「土一揆の「土」とは当時の農民や百姓のことを「土民」と称したことによる。土着の民」程度の説明である。
網野氏は「平民」「百姓」とほとんど同義の言葉であり、鎌倉幕府の法律にも用いられていたと言う。
確かに、言葉自体の意味内容よりも、その言葉(用語)が他の言葉(用語)と結びついたり、対比させられることで付加(変化)される意味内容が問題となることが多い。特に<差別>に関わる言葉(用語)には気をつけなければならない。
「百姓」=「農民」ではないことを実証した網野氏の功績は大きい。教科書記述も今は「百姓」で統一されている。しかし、未だに同一視している人間は多い。
「百姓」は「農民」ではないと言う網野氏は、有名な『尾張国郡司・百姓等解文』を例に、「農夫」「蚕婦」は「百姓」に含まれ、「それぞれ別の概念」であって、「区別して使っている」と述べている。また、『日本後紀』にある「児島郡百姓等、塩を焼て業となす」から「百姓」に「製塩業」が含まれていることも論拠としている。
私に強く影響を与えた尊敬する友人、福岡の石瀧豊美氏は著書で「浦百姓」の存在を示している。漁師のことである。事実、以前の教科書にあった「身分別人口構成」の円グラフでは「農民」となっており、では「漁師」はどこに入るのか、山間部で教師をしていた時に生徒から「林業をしていた祖先、木樵はどこに入るのですか」と聞かれて困った記憶がある。
網野氏は誤解を招いた根拠に、教科書が年貢(租税)を「米」としたことがあると言う。年貢が古代の制度の影響で、基本的には水田、例外的に畠地に賦課されていたからだと言う。
中世においては、「全国を荘園・公領の年貢の中で米年貢の占める割合はむしろ少なく」「全体の三分の一強程度」だった。ほとんどの荘園は絹、布、糸などの繊維製品、東北は金や馬、西国では油や炭、瀬戸内の島は塩、但馬は紙などであった。これからも、「百姓」が多種多様な職業を生業としていたかがわかる。
中世には「百姓」に関連して「地百姓」「脇百姓」「小百姓」などの呼称もあった。「地百姓」は都市民で、酒屋・土倉・刀作などさまざまな職人や金融業者が含まれている。「脇百姓」は「本百姓」を補助する役割を果たしていた百姓である。「小百姓」は田畠を少ししか持っていない百姓、あるいは名主のような正式に責任ある立場ではなかった百姓であるが、田畠が少ないことが必ずしも貧しい人々を指していたわけではない。つまり、農業の必要性がなかった可能性もある。
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。