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「許せない人」への対処

『どうしても「許せない」人』(加藤締三 ベスト新書)を読みながら,差別を受けた被差別者や人権侵害を受けた被害者の心情を思っていた。
差別-被差別の関係性が対立構造に陥られないためには,差別者の問題性(差別感情や差別言動)を糾弾するだけでなく,被差別者の意識改革も必要であると思っている。その際の心理的葛藤に関する示唆において本書も有用であると思う。

加藤氏の本は高校時代によく読んだが,平易な文体で,当然といえば当然なことを述べているだけだが,わかりやすいからつい引き込まれて読んでしまう。人生相談の回答ような感じさえするが,人間心理・対人心理の機微に通じる適切なアドバイスも多く,それなりに考えさせられる。
本書で心に残った文章を書き出してみる。

「あの人を許せない」という怒りが終わるときがない人もいる。
関わった人を許せる人と許せない人との生き方の違いは,どこにあるのだろうか。
もちろん関わった人をすべて許した方が良いというのではない。絶対に許してはいけない人達がいる。それが先ほど述べた質の悪い人,人を騙す人である。
その場合に必要なのは,「許す」ことではなく,自分が再生するために「憎しみの感情を乗り越える」ことである。
自己実現している人は,憎しみの感情を乗り越えることができる。しかし,そうでない人は憎しみの感情を乗り越えることはできない。
あなたは,周囲の人から不当な扱いを許していたのではないか。抗議すべきところを卑屈に笑っていたのではないか。周囲の人があなたを心理的に虐待することを許していたのではないか。
自己蔑視している人が,自らの人生を切り開くためには,まず自分の言動の原因を意識することである。自分の無意識に気がつき,それを認めれば先は開ける。
たとえば「自分の惨めさを誇示する」のは,自分の心の中に憎しみがあるからだと意識してみよう。
意識するためには自分の言動を深く考えればいい。
「私は何でこんなに自分の惨めさを人に誇示するのか?」と考える。それが自分の無意識を意識化する作業には必要である。
目の前の困った人にとらわれず,自分の真の目的を思い出す。
自分の人生の目的をハッキリと心の中で意識していれば,人は憎しみの感情に振り回されて消耗しきって自滅しないですむ。
心が満足していれば,許せない人を見て「この程度の人間か」と思うことができる。言葉は悪いが,「馬鹿を相手にしている場合じゃない」と思える。
生きるか死ぬかのときに,憎しみを乗り越える,生きるためのたくましい決断をできることを,人間の自由という。その決断をしない限り,同じことを繰り返す。
大いなる自由とは,深く傷つき,生涯復讐の鬼となって生きるだろうと思われていた人が,その憎しみを乗り越えて,今を生きられることをいうのである。
人間の自由とは,どこまでその憎しみを乗り越えられたかということである。
毎日人へ嫌がらせをしている人が,幸せな老後を送ることはありえない。
純粋に生きていれば,傷つくことがあっても夢がある。人を騙す大人には夢がない。妬みから嫌がらせをする人にも夢がない。
人の足を引っ張る以外に生きる楽しみがない人は,どの職場にもどの地域にもいる。
五体無事で不幸な人もいれば,障害があっても幸せな人もいる。
何もなくても生きている人が一番強い。
弱い人は,他人から高い値札をつけてほしいと思っている。
しかし,人間の価値に値札はいらない。
苦しみの中でも明日への夢をもっている人が一番強い。
どんなに苦しくても,自分の人生を明日に託せる人が一番幸せ。
深く傷ついても,その怒りの中で,明日への夢を紡ぐことができる人が幸せ。

このように書き写してみると,気恥ずかしい言葉が並ぶが,この当たり前のことが対人関係のトラブルによって見失われていることに改めて気づかされる。処世術といえばそれまでだが,これほどに対人関係が複雑化し,ストレスの原因となっている現状を見ると,気休めでもいいから心煩わされずに生きる術を身につけることも必要と思う。

部落差別においても,他の人権問題にしても,その要因を解明し,人々の認識や感性を変革するために教育や啓発に期待することは当然だが,差別が人間の手によってつくり出され,人間関係の場において発生する以上,自らの生き方やあり方において差別をしないだけでなく,今ある差別に対してその解消に尽力することは,人間関係の再構築をも意味するため,多くのトラブルを引き受けなければならないだろう。

時に差別的な言動に出会うこともあるだろう,近い友人や知人の差別的な言動に遭遇することもあるだろう,何よりも自分自身が差別を受けることもあるだろう。偏見と先入観から一方的に非難されることもあるだろう。自分の思いや考えを歪曲され,曲解されることもあるだろう。推測と憶測で事実とはかけ離れたことを,さも事実であるかのように勝手に解釈されることもあるだろう。そんなときに自分を支えるだけの「意志」をもっておく必要がある。

マルクスは『資本論』の序文に,ダンテの言葉を引用して「汝自身の道を行け,そして人々の語るにまかせよ」と書き記している。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。