視覚障害者用チョーク
チョークを使うたびに思い出すことがある。随分と以前に書いた拙文を再掲する。
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今朝,TVで「日本理科化学工業」が紹介されていた。この会社,障害者雇用の先駆けとなった会社である。会社のHPには,次のように書かれている。
昭和12年、当時白墨を使用している先生方に肺結核が多いとの指摘があり、アメリカにあった衛生無害の炭酸カルシウムを原料とした「ダストレスチョーク」の国産化に初めて成功し、設立しました。昭和28年、ダストレスチョークはわが国唯一の文部省あっせんチョークとして指定されました。
また、昭和35年より重度障がい者の雇用にチャレンジし、昭和50年、国の心身障害者多数雇用モデル工場1号を川崎に設置したのを機に「障がい者と社会をジョイントする」を経営方針に加え、障がい者の職域拡大として、精密部品のゴム、プラスチックの成形、そしてリサイクル事業部門を新設し、性能の高い機械、治具の工夫、生産工程の細分化と単純化などによって、品質・生産性・管理面で高い水準を維持することが可能であることを実証しています。
重度障害者多数雇用事業所とは、雇用労働者数に占める重度障がい者数の割合が10人を超えてかつ20%以上の事業所のことを一般に言います。
当社では従業員の50%以上の重度知的障がい者が働いています。従来の作業方法を彼等に教えるのでなく、彼等の能力にあわせて作業を改善すれば立派な労働力として活躍してくれています。
教師にとって最も重要なツールは「チョーク」です。そのチョークを作っている会社が障害者雇用に積極的に取り組んでいることを知り,うれしくなった。
その番組によると,50年前,まだ社会が障害者雇用に消極的だった当時,一人の養護学校の教師がその会社を訪れて生徒2人の雇用を頼んだ。断ると,次のように頼み込まれた。
「もし,会社が雇ってくれなければ,この子達は一生涯働くことを知らないままで終わってしまう」
2週間だけ試用期間として働かせることを承諾した社長は,その子達の一生懸命さにおどろいたと言う。そして,2週間が経ったとき,従業員達が社長に「あの子達を正式に雇ってください。できないところは私たちがやりますから」と頼みに来たそうだ。
社長はちょっとした工夫をすれば,障害者の目線に立てば,彼らは社会に役立つ仕事を十分にできると話す。例えば,時計が読めなければ,代わりに砂時計を用意すればいいのだと。
数年前,私は板書にわかりやすいように色チョークを多用するが,もっとインパクトのある色チョークがほしくて,業者に相談したところ,蛍光チョークを持ってきてくれた。生徒にも好評だったので,箱で注文したところ,その箱には「視覚障害者用チョーク」と書かれていた。なるほどと思うと同時に,そのような工夫もなされていたのだと感動したことを覚えている。以来,本校では多くの先生が愛用しながら,新入生にこのチョークの話をしている。
私は,1本のチョークに込められた彼らの思いを生徒に伝えていきたい。
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。