光田健輔論(2) 正当化の欺瞞
敬愛する林力氏の『父からの手紙 再び「癩者」の息子として』の「はじめに」の最後は、次の言葉で締められている。
同感であり、私がずっと疑問に思っていたことでもある。
絶対隔離しかも終生、その継続を「遺言」とまで強調して訴えた光田健輔は、戦前は国際的潮流に反して、戦後はプロミンの効果が立証されているにもかかわらず、感染力が非常に弱いことが照明されていたにもかかわらず、初志貫徹にこだわり続けたのか。私には光田の<自己正当化の欺瞞>としか思えない。つまり、すべての情報や国内外の動向を知りながらも、自説に固執し、自らを正当化していたと思えるのである。
彼の(意識しているかいないかに関わらず)欺瞞に満ちた言動は枚挙に遑が無いが、そのいずれもが「自己正当化」に終始している。いくつか取り上げてみる。
藤野豊氏の『「いのち」の近代史』に「Ⅲ たたかう病者」「第三章 長島事件」がある。当時の新聞記事を詳細に検討して考察している。
事件が起こった当初、各新聞社の記事からは、内務省衛生局や岡山県警察、岡山県知事も、病苦に苦しむ患者に対して同情的であり温情主義で解決に当たろうとした。彼らの談話を受けて、「愛の殿堂に汚点」などとセンセーショナルに報じた。それに対して、光田健輔は次のように語っている。
藤野氏は、この時の光田の言動について、次のように分析している。
光田の虚飾を剥ぎ取ろうとする患者に対して、自らの権威と立場を盾にして、実態を精神論の欺瞞で覆い隠そうとしたのである。藤野氏は「光田と愛生園当局はこの事件の背後にある隔離の現実への患者の不満を見ようとはせず、ただ事件全責任を患者の側に押しつけ、患者への弾圧強化をのみ今後の教訓としたのである」と結論づけている。
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光田健輔の回想録『愛生園日記』に、愛生園を運営する「基本構想」が書かれている。「立派な院風を作る」ために光田が「打ち出した構想」が「家族主義」であった。
なんという理想論を大上段に振りかざして平気なのか。恥ずかしくないのか。明治の家族観からすれば当たり前だったのかもしれないが、それでも高慢で不遜な一方的な押しつけの「家族主義」である。光田の脳内と机上で作り上げられた「家族主義」でしかない。耳障りのよい言葉に、誰もが「理想」のように思うかもしれないが、「現実」は必ずしもそのようにはならないことは自明である。この「家族主義」について、藤野豊氏は次のように批判する。
実態を見ずに(知りもせず)語られる理想論からイメージして、人々は哀れで悲惨なハンセン病患者が「愛の殿堂」で「家族」にように過ごすことができると、まさに「救癩」の世界だと信じ込んでしまう。それをつくりあげた光田には、自分たちができない(顔を背けていた)ハンセン病患者を「愛」で救った医師と尊敬する。「シュヴァイツァーを越ゆるもの」などの讃辞が並ぶ。イメージほど作られるものはなく、そのイメージもまた一人歩きをする。
長いので要点のみを書き出すと、園内の売店の売り上げを特別会計に入れ、その利益金の一部を基本金に繰り入れて「患者救済金」として働くことができない重症者を助ける。さらに一定の収入(慰労金)以上の者から超過した金額を「指定寄附」の名目で取り上げて「救済資金」にする。つまり軽症者が働き、その一部で重症者を救済する。光田はこれを「愛生園の家族主義の神髄」であると言い、「大家族を形成している以上は、ひどく収入の差があっては、第一にあげた『融和』がぐらつくもとになる。その超過額を寄付することで、収入のない人たちが救われるのを喜ばなくてはならない」と言う。
続けて、第三に「犠牲奉仕の精神」を掲げて、光田は「団体生活を理想的にするためには、犠牲の精神がなくてはならない。それも義務ではなく自発的にやってこそ意義がある」と患者を教訓する。
この道徳的な訓話を聞けば、納得する者も多かったであろう。まさに理想的な運営であるとさえ外部の人間は思っただろう。キリスト教的な友愛の精神と勘違いした者も多くいたではないだろうか。
だが、現実の<実態>は見えてこない。患者作業がどれほどに過酷であり、施設職員の強制と無理強いがどれほど横暴であったか。慰労金の少なさ、しかも園内でしか通用しないお金(金券:園内通用券)である。
光田のこの考えや実行は、成田稔氏によれば、「患者作業、懲戒検束、所内婚姻、断種手術などは、1910年から1916年あたりまでにほとんど慣行化されており、それらが絶対隔離の遂行を思考し、さらには完遂を夢想させていたのは確かだろう」と、つまり光田は全生病院で医長を勤めていた頃より実施していたのである。
その目的は「最小の経費をもって最大の効果をあげる」ことであった。つまり、経費節減であった。安い慰労金で患者を酷使したのである。1934年頃の患者による作業項目は98種もあったという。
光田は「療養所の所要経費が結核療養所のそれの三分の一に抑えられているのも、癩患者は無熱で重症になっても労働に耐えられ、それが施設の経済を支えてきた」からだと豪語しているが、きれいごとでしかない。職員の不足を補い、負担を軽減するためでしかない。本末転倒としか思えない。
少しでも多くの患者を収容し、終生絶対隔離を堅持するための「方便」でしかない。それを誤魔化すための精神論であり、外部に対して体裁を取り繕っているだけである。まさに正当化の欺瞞である。
「犠牲奉仕の精神」の例として、光田は次のように書いている。
療養所である。患者は治療し療養するために入所しているのだ。光田には患者の姿は見えていない。見えているのは自分の理想とする姿だけだ。