書評:『よみがえる部落史』(上杉聡)
随分と昔,依頼されて書いた書評である。今更の感は否めないが,この時期の上杉氏の著書は今読んでも十分に参考になる。それまでの歴史を専門にする学者が固定的な歴史観や歴史概念から身分制度や賤民をとらえていたのとは異なり,史料を多角的に分析・考察することで新たな部落史像を描き出している。『明治維新と賤民廃止令』は名著であり,私にとっての出発点でもある。
人生は短い。時は過ぎて行くのみだ。残された時間の中で何ができるだろうか。時折思うのは,良書・悪書があるように,SNSやブログにも将来に残されて有益なものもあれば,ただ害毒を流し悪しき誤謬を後世に残すだけのものもある。自戒しなければと思う。
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研究者は漁師,教師は料理人
ー 部落史研究の成果を生かした部落史学習を求めて ー
先日の全国同和教育研究大会のある分科会で,「もし先生の授業を私が聞いていたら,私は辛くて顔を上げることができなかったでしょう。娘も同じように思うでしょう。なぜ先生は部落をそのようにしか語れないのですか」と訴える母親の一途な思いを聞いた。我々教師は,この思いに応える部落問題学習を実践してきただろうか。
小学校・中学校で私は同和教育を受けてきた。しかし,何のためだったのだろうと今になって思う。江戸時代の身分制度を今まで引きずっているのですよと教えてもらい,私はいつも決まり切った感想文を書いてきた。そして先生にほめられた。でも,本当は何も考えていなかった。正直,自分には関係ないと思っていた。
これは,ある大学の教員が講義する「同和教育論」を受講した大学生の感想文である。「部落問題は,知識として学んだが,自分とは関係ない問題だ」「部落問題に出会ったことがないからわからない」「部落の人々と話したことがないからわからない」など同様の感想は数多いと言う。そこで,学生たちに「親や身近な人と部落問題について話し合う」ことを求めると,部落に対する偏見や差別意識が自分に関わって存在していたというレポートが多く提出され,これまでの部落問題に関わる教育について改めて,そのあり方を考え直す必要を痛感したとその教員は語っている。
近年,日本中世史の研究や各地域における史料の発掘と研究の成果などをもとに「部落史の見直し」が提起され,従来の部落差別の基本的なとらえ方であった「近世政治起源説」が問い直される一方で,多様な被差別部落の歴史と,豊かに自己主張し,たくましく生きぬいてきた被差別民の姿が明らかにされてきた。それは,これまでの「貧困」や「悲惨」という認識ではとらえきれない被差別民の実像であり,「近世政治起源説」とは相容れない被差別部落の実態であった。こうした部落史研究の進展は,昨年度の小学校6年の社会科教科書の大幅な記述変更に反映されている。今回の改訂の大きな特徴の一つは,被差別民の呼称についての変更である。1974年に同和問題に関する記述が小学校の教科書に記述されて以来の呼称であった「さらに低い身分」が「農民や町人からも差別された人々」(大坂書籍)「村人や町人とは別に身分上きびしく差別されてきた人々」(東京書籍)と記述されるようになり,「低い身分」というとらえ方が変更されていることである。もう一つは,「身分をおいた」というとらえ方の変更と分断支配に関する記述の変更であり,「きびしい制約」はあったが,必ずしも被差別民の生活が低位であったとは記述されていないことである。
これらの記述変更は,多くの研究者の提起を反映したものであるが,特に本書の著者である上杉聰氏の研究成果と提起によるところが大きい。「士農工商」という身分制度を表すと考えられてきた言葉を「すべての職業」「民衆一般」の意味である中国の用語であり,日本においても「職業人一般」「人間一般」を表していたという指摘や,江戸時代の身分構造において「穢多非人」身分は「下」ではなく「社会外」に位置づけられていたという提言は,その後の部落史研究の先駆的役割を果たしたと言える。
十数年前,学校教育の現場において「近世政治起源説」が「定説」であった当時,「士農工商・穢多・非人」の図式に疑問を投げかけ,部落差別の本質を「上下の差別」ではなく「社会外の差別」であると論説する上杉氏の考えの斬新さに驚きつつも納得した私は,上杉氏に「部落史をどのように教えればいいか,そのような本を書いてください」と聞いたことがある。その時,確か「それは先生,あなた方の仕事ですよ」と答えられたのを覚えている。以来,部落史研究による新しい史実やとらえ方をどのように部落史学習に生かし,生徒が理解しやすい部落史学習を展開をしていくべきかと悩む日々を送ってきた私にとって,上杉氏の著書は多くの資料と貴重な示唆をあたえてくれた。
『天皇制と部落差別』では,「社会外」としての部落の本質と差別の構造を視点に部落史の見方の転換を提起するとともに,天皇制や家制度,日本資本主義との関係において部落差別を考察し,新しい部落史観の構築を試みている。『明治維新と賤民廃止令』で考察された「社会外」の概念を部落史全体に広げ,一般社会と部落の関係性を「排除による差別」ととらえ,平易に解説していてわかりやしすい。しかしなお研究成果の報告でしかなく,学校現場においては一体どのよう教えればいいのかと混乱と議論を引き起こした問題の著書であった。
それを補う形で書かれたのが『部落史がかわる』である。
「あとがき」に「……これをどう教えればよいのか悩んでおられる学校の先生方,あるいは行政や運動の啓発担当者にとっては,大方の解決になると密かに期待している」と上杉氏自身が述べているように,前述した私の問いかけに,ようやく応えてくれたという思いで一気に読み終えた。部落差別とは何か,部落差別をどのようにとらえればいいのか,という命題に対して,新たな身分概念図の提示や部落の概念のとらえ方,関係性による部落問題の解明など,『天皇制と部落差別』で展開された論理を,より綿密に丁寧に論述していてわかりやすくなっている。歴史的な史料を多く使用して説得的な構成であるが,通史的な記述は中世までである。この点を考慮して書かれたのが『よみがえる部落史』である。
本書の意図を上杉氏は「……部落史をどう理解すべきか,また教えるべきかについて,……私なりの『回答』を提出し,部落の歴史に明確な道筋をたて,わかりやすく新たなイメージを生み出そうとした」と述べ,前著『部落史がかわる』の続編と位置づけている。すなわち本書は,戦国時代から明治初年までの時期における部落差別のあり様を通史的に扱っている点で前著の続きであり,しかも政治的社会的背景と人々(民衆あるいは社会)の意識との関係,その変遷に焦点をあてながら,多数の史料を駆使して論証している点が特徴である。
本書のキーワードとなる観点は,「非制度的な『慣行』が歴史的には法制度に先行しうるという見解」に立ち,中世末から近世への変化を「差別の慣行」から「差別の制度」への移行としてとらえていることである。上杉氏は,中世においてインド仏教とカースト制が日本に輸入される中で,それらに付随して「差別の知識や観念」も同時に知識人の意識に注入されることになったと考える。そして,「部落を作りあげる政策が為政者によって模索されたとき,はじめて外来の知識がそのヒントとして大いに役立った」のであると,部落差別の起源を考察する。
つまり,あくまでも「政治が部落を生み出す要因」であって「宗教は政治に協力したにすぎ」ないと,権力の意図的な政策に部落差別の起源を求めている。この彼の考えは,「差別の慣行」は宗教や民衆が生んだものではなく,「中世の権力が生みだし発展させた支配慣行」であるという観点に基づいてのことである。
これに関しては,やはり部落差別は権力が作ったという誤解を生じさせる恐れがあるが,上杉氏の考えは,「慣行」は権力による承認によって成り立つものが多いという観点から導かれたものであって,政治権力の創出の立場ではなく,部落差別は民衆の意識と差別の根拠である宗教的知識,あるいは政治権力の相補的な関係性の中で生まれ発展してきたという観点に立っている。
近世における部落差別のあり方では,軍需物資としての皮革の需要(必要)から「皮剥ぎ」の統制と支配を目的に,近世権力が「部落を差別する慣習法」を定めることを通して,差別が「制度化」されていったと論証する。また,慣習法が成文法化されていく理由については,生産活動において社会に組み入れられた「穢多」の人々が,一般社会との交わりを深めることによって身分秩序の安定が壊れることを懸念した権力によって,法制度が整えられ,差別的な政策が確立されていったためであると考察する。
つまり,被差別民に対する差別が民衆の中で強まり表面化することと,近世権力によって差別が制度化されることの相乗効果が部落差別を強め,決定づけていったのである。
また,差別が全国的に法制度化される直接の原因としては,キリシタン弾圧に関連して強制された寺請制度と宗門人別帳の作成によってであり,この政策により身分が固定化され,「差別が義務化」されていくことになったと述べている。
近世後期に幕府や各藩より差別法令が数多く出されるようになるのかについて,差別に対抗する「慣行や思想」が強まっていくことで「差別の制度」が弱まって,身分秩序が崩れていくことに危機感を抱いたからであると述べ,「差別制度を乗り越える人びと」の姿や「差別政策を挫折させた民衆」の姿を史実から描き出している。特に「差別的な制約を破壊する力」として,「さまざまな分野で」の「部落と一般社会との交流」と「男女の相愛」を実例によって紹介している。
幕末から明治維新にかけての部落解放の動き,特に「賤民廃止令」の公布にいたる過程と政治的社会的背景について本書においては,関わりの深い人物の考えや動きを中心に記述していること興味深い。また,「解放令反対一揆」についての考察では,民衆の中にある差別を容認していこうとする意識と差別を克服していこうとする意識の対比を,経済的社会的状況との関わりで分析しているが,この意識の対比は,現在においても同様の状況があり,人々の意識の中に見ることも多い。
このように本書を概観して思うのは,この上杉氏の論考をどのように部落史学習に生かしていくべきかである。かつて吉田栄治郎氏は,従来の部落史像を「小錦に無理やり幼稚園の子どもの椅子に座らしてしまった」と例えたことがある。つまり,画一的なステレオタイプ化された部落史像では全体を描くことはできないという指摘である。多様である部落の正しい歴史像をどのように描くかということが我々の課題なのである。この意味からも,本書には多数の引用史料をもとに多様な部落史像が描き出されている。
歴史の中で確かに生きていた彼らの姿を通してこそ,我々は部落史の真実を語っていくことができる。
大分県部落史研究会の一法師英昭氏は,「『部落史の見直し』とは,とりもなおさず,私たちの『固定概念崩し』であろう。今まで何の疑いもなしに,この固定概念を子どもたちへ伝えてきた結果,『部落=低位』という意識を植え付けてしまった。この概念は正しかったのかという検証が『部落史の見直し』である」と述べている。
最近の部落史研究の進展により従来の部落史像は大きく転換してきた。前述した教科書記述の大幅な修正などにより,学校教育における部落史学習も大きな転換期をむかえている。しかしながら,多くの教師が「新しく変わった教科書の記述や新しい部落史の内容をどのように教えればいいのか」ということだけにこだわっている。このことは,教師の多くが「部落史の見直し」を,部落史学習として教える内容の変化,つまり知識上の変化(改訂)としてしかとらえていないことを端的に表している。
さらに,従来から指摘されてきた「部落問題を他人事としてしか捉えられていない」などのこれまで指摘されてきた部落問題学習の問題点を,「近世政治起源説」にもとづくまちがった部落史を教えてきたせいだとして,本来教師にあるべき責任を反省することなく,他に責任を押しつけているように思える。
問うべきは,教えてきた部落史の内容ではなく,生徒に部落問題を語り部落史を教えるときに,その目的やその意味を教師自身がどれほど自覚しているかどうかである。教師だから,あるいは教科書に記述されているから,部落史を教えなければいけないという意識で授業をしてきた教師の姿勢こそが,逆に部落差別を助長してきたのではないだろうか。
教材研究を十分に行い,賤称語の扱いにも十分な配慮をしていたにもかかわらず,社会科や部落問題学習の授業後に,差別発言や差別落書きが起こったという話を耳にする。そうした事件を検証していく中で見えてきたものは,教科書に記述された知識のみを,教師が一方的に「史実を伝えること」に終始していた授業と,ただ聞くだけの生徒の姿でした。こうした部落史学習から,生徒はその歴史的背景と史実を<知識>としては理解するかもしれないが,部落問題を自分に関わる問題として捉えることは少ない。
むしろ生徒の心に残るのは,差別と貧困が強調された「部落の低位性と悲惨さ」であり,マイナスイメージとともに強められる差別意識,「かわいそう」という同情的感想の背後にある「部落に生まれなくてよかった」という自己中心的な安堵感である。
では今,どのような部落史学習の実践が求められているのだろうか。
それは,差別の厳しさや悲惨さを<知識>として学習するのではなく,その差別の中を生き抜き,差別を乗り越えてきた人々の姿を通して,生徒自身の「生き方を問い直していく」部落史学習の実践ではないだろうか。史実を通して,その時代にはどのような差別があって,どのような生活があったか,そして差別の中で人々はどのように生きてきたか,どう闘ってきたかを知り,その生きざまに学んでいくことを目的とする部落史学習である。
それは「被差別民がどうであったか」ではなく,その時代の民衆が「被差別民をどのように見ていたか」(賤視観)を問う視点であり,さらに現代に生きる我々が史実を通して被差別民をどのように見ていくべきかをも問う視点に立つ実践である。この視点で展開される部落史学習により,生徒は部落差別を「自分自身の生き方」の問題としてとらえ,部落解放への展望をしっかりと認識していくことができると考える。そして,生徒の中にある被差別部落に対するマイナスイメージは拭いとられ,豊かで多様な部落史像が描き出されると確信している。
本書は,この意味においても,その役割を十分に果たすことができる。豊富な史料と史実,その的確な考察と分析,一貫した視点に立った論証によって成り立っている本書を読み深めるとき,その時代を賢明に生きぬいている多く被差別民の姿がよみがえってくる。彼らの表情や思いすらも伝わってくる。
我々は研究者ではない。生徒とともに同和教育を実践し,ともに学んでいく教師である。研究者によってさまざまな学説が唱えられているが,いわゆる「定説」が見出せない以上,できうるかぎり最新の研究成果を取り入れながら,部落差別の解消において大切な示唆を生徒に教示していくことが教師に求められている。
このことは,「研究者は漁師,教師は料理人」と喩えることができる。漁師の捕ってきた魚を,おいしく食べられるように料理していくことが料理人の仕事である。つまり,研究者の考察や資料という研究成果を受け取り,生徒が理解しやすい最適な教材へと作り上げていくことが,我々教師の仕事である。上杉氏は,大きくて非常においしそうな,そしてどのようにも料理ができる最高の魚を贈ってくれた。さあ,料理に取りかかろう。生徒がお腹を空かせている。
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新しい部落史像の確立に期待していた当時の私は,上杉氏の一連の著書を出発点にして,他の研究者の論文を手当たり次第に読み耽っていった。各地には在野にあっても地道に史料の発掘や研究を続けておられる方が多くいたし,彼らの研究成果が注目を集め始めてもいた。
同和教育が部落問題学習の中から部落史学習の重要性を強く感じ始めた教員も増え,社会科教員を中心に勉強会(研修会)が各地で開かれるようになったのも,この頃だった。情熱と信念をもった多くの教員が研究者や地元の方々と手を結んで,新たな(真実の)部落史像を求めていた。その姿勢は今も失うべきではないと思っている。