部落史ノート(13) 『防長風土注進案と同和問題』(2)
「第三章 近世賤民制度の起源と機能」では、長州藩における賤民制度が領主支配との関係でどのように成立したかがまとめてある。他藩の場合を考察する上でも参考となる。
あらためて長州藩の部落史を研究する際には必修の冊子であると思う。
2年前(2021年)に、山口県人権啓発センター編『入門山口の部落解放志』が出版された。山口県内の小中学校の教員が執筆した人物を中心に編集した「山口の部落解放小史」である。当然、本冊子ならびに『防長風土注進案』を読み込んでの作業であったことは想像できるが、経験者として教師の仕事をしながら研究と執筆を行うことは相当の労力を要したと思う。この労作を後進のために残されたことに敬意を表したい。願わくば、続編として史料を元にした教材化と実践を冊子として刊行されることを期待する。『防長風土注進案』をテキストに、山口県部落解放史研究会が主催する研修会が定期的に開催されていると聞く。若い世代、特に教師が参加することで部落史・部落問題学習が継続・継承されていくことを切に願っている。
本章の冒頭、被差別部落の初見について触れている史料が紹介されている。
少し長く引用したが、この部分をどのように解釈するかがむずかしい。つまり、この史料をもとに藩権力が政治的な理由によって「被差別部落」を創設したと考えれば、従来の「近世政治起源説」となる危険性を持つ。
「政治起源説」の危険性は、「犯人捜し」であり「責任転嫁」に陥ることである。かつて「徳川幕府が悪いんだ」「政治権力が部落をつくったんだ」と短絡的に決めつけた「犯人捜し」が横行した。部落の人間にとっては「政治権力の責任論」となり、部落外の人間には「自分たちは悪くない」と「無責任論」となった。
私は「中世起源説」の立場に立つ。賤民に対するケガレ観が強まり、<賤視観><卑賤観>が民衆に定着した南北朝期が「起源」と考えているが、まだ明確には決めかねてもいる。
「職能民」として特殊で高度な技術や技能をもつ「賤民」が、一方で「ケガレ観」を理由に排除・隔離されるようになり、他方でその技術や技能の特殊さを理由に、時の権力者に利用されるようになっていったことが歴史的背景にある。そして南北朝から戦国時代にかけて領主(支配権力)によって統轄されていったと考えている。
極論になるかもしれないが、<賤民制度>を成立・確立したのは政治権力であり、<賤視観><卑賤観>をもって賤民を差別したのは民衆であると考えている。
長州藩の賤民制の成立・確立について、本書は次のように述べている。
長州藩の賤民制度は、『防長風土注進案』という一級史料により、このように明確に成立・確立の時期や藩権力の意図的政策がわかる。特に指摘されている「垣ノ内」「皮」「長吏」の三者によって賤民支配制度が成立したとする説明はわかりやすい。江戸における弾左衛門制度との類似からも近世賤民制度が幕府や藩によって設定・編成されたことが理解できる。
ただ、部落差別につながる「穢」の論理がどのように利用され、民衆の分断化に<賤視観><卑賤観>を応用したのか、あるいは先にあった民衆の<賤視観><卑賤観>を利用したのか、を解明する必要がある。
私は、「職能人」でありながら<賤視>を受けていた「賤民」が先に存在して、彼らの「職能」ゆえに確保(掌握)するために集住させ、保護(保障・特権)-奉仕(「役」負担)の関係を成立させたことが「賤民支配制度」となった、そのように考えている。すなわち、中世以来の<賤視観><卑賤観>による差別が先にあり(民衆の認識と意識にあり、社会的に認知されていた)、後に「職能」に目を付けた封建領主が利用したのだと考えている。そして、彼らに統治上必要な治安維持を遂行する「役」(捕吏・刑吏・警吏など)を命じてきたのだと、その「役」ゆえに民衆との隔離・分断が強まっていったのだと考えてもいる。
それについて、次の小項目「差別の強化と分裂支配の機能」では、年代を追いながら藩による「取締令」が列挙・説明されている。
こうした差別強化の政策は、近世中期に顕在化してくる封建体制の矛盾、封建秩序の弛緩に対処してのことにほかならない。農民階級と領主階級との階級的な矛盾と対立の激化に対応して、賤民身分は一般農民身分より低位の存在として、また一般農民を取締まる領主権力の手先として、その存在と役割をきわだたされてくるのである。
一般農民と被差別部落住民が共に被支配身分でありながら、互いに反目し合うという構図を封建権力は作り出しているのである。この分断・抑圧の構造と機能こそ賤民身分制度の仕組みであり、役割にほかならない。
最初から「分断支配」が目的(意図)であったとは考えにくい。封建領主にとっては「役」こそが重要であり、その成立・確立の過程で副次的に「分断」が行われていったと考える。特に、「長吏」役としての治安維持が強化・拡大されていく中で、捕吏や刑吏の役目が賦課され、結果として「反目し合う」構図が作られていった。
本章で紹介されている「唄」がある。
阿武郡O部落に伝承されている「唄」である。本冊子では「近世の被差別部落は、典型的には「垣ノ内」と「皮」と「長吏」役の三者によって象徴される」証左として引用している。つまり穢多の居所としての「垣ノ内」、「かわや」役としての原皮(特牛皮)の上納、そして「長吏」役としての警吏・捕吏・刑吏である。この「唄」にはそのいずれもが入っている。
特に、「長吏」役の具体的な役目が唄われている。非常の際には捕縛道具と六尺棒を持って出かけ、旅人に紛れた強盗を捕亡する。
この「唄」を「高佐郷の穢多たちが、自分たちに与えられた職務に忠実に、場合によってはいのちをかけてその職務にあたっている、しかも、その職務の熟練度はすぐれていて、誰ひとりとして、彼らの支配地から逃亡することはできない。あやしいものはすべて捕らえてみせる・・・、そんな自信にあふれた歌ではないかと」解釈し、それを根拠に「人の嫌がる仕事を押しつけられ」たのではなく、「彼らは、自分たちが穢多であることを誇って…責任と使命を持って、与えられた職務に忠実であろうとする姿勢は、今日の警察官のような姿勢」であるから、「穢多」は賤民ではなく「司法警察」であると主張するのが福島県の隠退牧師吉田向学氏である。
安直というか短絡的というか、「責任と使命を持って、与えられた職務に忠実であろうとする」人間は「穢多」だけだったのか、武士や百姓はそうではなかったのか。「職務に忠実」であり、その職務を遂行することに誇りを持っているから「賤民」ではないといえるのか。
「職務の忠実」で「いのちをかけてその職務にあたっている」ことと、周囲から賤視されていることは別である。まして「今日の警察官のような姿勢」であるかどうかはわからない。「今日の警察官のような姿勢」だから差別されていなかった。賤民ではなかったという論理は成立しない。
命じられた(強制された)「職務」(「長吏」役)をどのような姿勢で遂行するかは「穢多」次第であって、誇りを持っていようがいまいが、忠実であろうがなかろうが、イヤイヤであろうがなかろうが、封建領主権力には関係ない。「その職務」が果たされればよいだけである。百姓が年貢を納入するように、「穢多」など賤民が原皮を上納したり牢番役を務めたり、一揆制圧に努めたりすればよいだけのことである。
「社会に役立つ仕事をした」から偉い(差別されない)のでもなければ、「人の嫌がる仕事を押しつけられた」から「誇り」がないのでも、差別されたのでもない。役を命じられたのだから、「押しつけられた」ことは事実である。それをどのように勤めたか、どう思って勤めたかは臆測するしかできない。まして、「今の警察官」と比べることなどできない。それは「妄想の産物」である。臆測がいつしか「事実」に摩り替えられて、史実と乖離していく論法である。
「第四章 差別への抵抗と解放への苦闘」では、「差別の克服への主体的、発展的な歴史認識」を得るために被差別部落住民の「抵抗」と「闘争」を明示しなければならないとして、小項目「拒否と反抗と脱賤による闘い」と題して史料から史実(5つの事例)を提示している。さらに小項目「倫理的実践を通しての人間主張」と題して史実(2つの事例)を提示している。この7つの事例から注目すべきは「脱賤」である。
岡山藩における幕末の「渋染一揆」においても、要因は「平人」(百姓)との差異(差別)への抵抗であった。平人との「分け隔て」を差別と捉えることは、藩権力にとって身分制度の否定であり崩壊を意味する。
小項目「幕末の軍事的利用と明治初年の反動」では、被差別部落住民の軍事的登用と明治初年におこった平人に交じる被差別民に対する「穢多狩り」について述べている。だが、紙面的には少ないように感じる。有名な長州藩の倒幕運動に関係する「維新団」や「上関茶筌隊」などについてはもっと説明を費やしてもよいように思う。
「平人」に交じることで処罰された史実については重要なことであるので、史料からの史実の掘り起こし、全国的あるいは他藩との比較などが検討されてよいのではないかと思う。
「第五章 解放令と残された差別と貧困」は、ほぼ他県と同様の「解放令」発布に対する一般民(平民)の反応(抵抗と反発)と県側の「抑制策」を紹介するに留まっている。
最後に、40年前にこれほどにわかりやすい史料・史実の解説が刊行されたことに感動するとともに、十分に活用されてきたのだろうかと疑問を持つ。わずか40ページあまりの小冊子であるため、解説や史料の足りなさは否めないが、それでも長州藩の近世部落史に関する要点は明確に提示されている。
竹森健二郎氏の言葉である「研究者は漁師であり、教師は料理人」のように、本冊子という美味しい巨大魚を教師が最高の料理に創り上げて多くの子どもたちに提供してくれることを願っている。十分に「熟成」されているはずだから。