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部落史ノート(15) 「賤民とは何か」(1)

菅孝行氏の著書『賤民文化と天皇制』「Ⅲ 賤民とは何か」の冒頭に、次の一文がある。

…部落差別からの解放ということには、被差別の地位におかれた人々が、そのような状態から自らを解放するということだけでなく、差別的な位置にある人々が、そのことに気づき、自らを差別性から解き放つということが含まれていなくてはならない。…差別という歪んだ関係に拘束されているのは被差別者だけでなく、差別者もまた被差別者の受苦を生み出すことを通じて、この歪みにとらわれているからにほかならない。
差別とは関係の病いである。

簡潔に<差別関係>をまとめていると思う。「差別とは関係の病いである」とは至言である。そして、<差別を解消する>とは「自覚であり、実践の覚悟」だと私は思っている。

「…中には、差別を正当だと考え何の苦しみもなしに差別を生きている者も無いわけではないが、大抵の者は、差別に対して無自覚である」と菅氏も書いているが、「無自覚」であり、無責任な人間は多い。ほとんどの人間が「差別がいけないことはわかっている。人間は皆平等である」と言う。そして、「私は差別をしていない」と言う。一方で「差別されたことはある」と答える。この差はどこから来るのか。<無自覚の差別(行為・言動)>なのだろうか。

実際、長い教師生活の中で、生徒間のトラブルに立ち会ってきたが、同様のケースがほとんどであった。自分の行為が<差別>とは思っていない反面で、相手にされた行為は<差別>だと思っている。価値判断の基準が異なっているのだろうか。あるいは<差別とは何か>が理解できていないのだろうか。認識の差異なのだろうか。

こうしたことは、子どもだけではない。大人だって同じである。立場や社会的地位、職業、学歴や肩書きなどは一切関係なく、同様のことが常に起こっていると言ってもいいだろう。つまり、<差別とは関係の病い>なのである。

自分の行為や言動がどれほど相手を傷つけ、不愉快な思いをさせているかに全く気づくこともなく(意識的にしている人間もいるが…)、逆に相手の言動によって自らがどれほど被害を受けているかを過敏に告発する人間もいる。被害者であることを強調することで自己正当化を図っている人間もいる。「誹謗中傷・罵詈雑言」を浴びせられたと言いながらも、自分は平気で他者に対して「誹謗中傷・罵詈雑言」を浴びせる。
菅氏はそのような人間が生まれた背景を、次のように考える。

…抽象的な、人権思想の普及によって、差別はいけない、人間は平等だ、という観念だけは身につけたけれども、差別のない関係とはどういうことを意味するかが全然理解されておらず、そのため、差別の自覚なしに差別行為を行い、それを指摘されても何のことだか分からないという、非常に鈍感な社会意識が蔓延している、ということを意味するのではなかろうか。…近代化された差別とは、差別者の側は自覚的な差別意識を持たず、しかし、構造的には差別以外のなにものでもない関係が、近代化される以前の、粗野でむき出しの差別意識と一体であった差別以上に苛烈な形で存在している状況のことにほかならない。

人権や人権思想を学ぶ場は学校が主だろう。社会科の授業で人権思想の流れを学び、道徳で人権とは何かを読み物教材や最近では映像で学ぶ、さらに学級活動や学校生活全体で体験的に円滑な対人関係と他者への思いやりなどを身につける。だが、実際はどうなのだろうか。
菅氏が指摘するように、「観念」では理解できても、知識としては認識していても、それが自らの生き方やあり方、日常生活において他者との関係に活かされているだろうか。

特に、歴然として存在している<差別意識>や賤視観・卑賤観はどうだろうか。擦り込まれた差別感情は知識理解で氷解するだろうか。まして自分に関係が薄い差別事象に対しては、無関心であること、同情論に終わるのではないだろうか。

現代の差別を克服するためには、個別の、形にあらわれた不平等をとりのぞくだけでは不十分である。差別構造の根底にある、伝統的な貴賤観、浄穢観のねもとを解明し、近代的人権思想が、決して視野におさめることのできない欠落を、明るみに出すことが必要とされている。つまり、抽象的な平等論、同情論とは全く異なった地平から、差別の歴史的な根を洗い出し、差別することされることがどのような意味をもっていたのか、差別するものされるものがどのような関係に立ってきたのか、お互いにとってなにものであったのかを明らかにし、その上で、つまり-ちがいをちがいとしてみとめた上で-そこにどのような水平的共生がありうるのかを模索しなければならないと考える。賤民とは何か、を考えるのはそのためにほかならない。

菅氏の主張に納得はするが、それでもなお、彼自身が批判する「抽象的な平等論、同情論」の域を出ていない気がするのは私の浅学のせいだろうか。理論や理屈で納得するよりも、その人間との付き合いで体感する世代が多くなった気がするが、それでも自他共に「納得」するためには「賤民史」を通して日本社会における「賤民」の歴史的背景は理解しておく必要があると思う。

1984年発行の本書は部落史の見直しが始まった頃であるから、まだ近世政治起源説の名残や貧農史観の影響が残っている。また菅氏の思想的立場であるマルクス主義思想や階級史観も論理展開に影響している。しかし、左翼思想の影響下にあるとしても、菅氏の主張には賛同するものがある。たとえば、「水平社宣言」の解釈を見てみよう。

この宣言を貫いている思想は、抽象的な人権論、人間平等論つまり同和の思想とは正反対のものである。水平社の宣言は、決して、自分たちも同じ人間として平等であることをみとめてくれなどと要求しているのではない。自分たちこそが自らを誇るべき人間でなければならぬという自覚の必要を説いているのである。つまり、大切なのは、抽象的な人権論の平等ではなく、職業とか、地位とかいった、現実の、具体的な生き方それ自体のちがいが、貴賤・浄穢・上下の関係として区分されてしまう価値観とその基盤となっている社会構造を、根底から変えることだと「宣言」は主張しているのである。

この思想は「立場」をかえていうと、職業的、身分的に低い階層の、人間あつかいされてこなかった人々も、人権は平等なのだから、わけへだてなくつき合ってやろう、一緒にまぜてやろうという慈善の思想を否認することである。そして、お互いのちがいを、上下の差別でなく、水平の差異として相互に認識しあい、自由な交通を実現すること、つまり「同和」ではなく解放をめざすことにほかならない。「同和」には自己変革の過程はない。しかし、自己変革なしに解放はない。自己変革とは、自己の差別性からの自由を獲得することであるが、現代市民社会において差別性の中心をなしているのは、一見差別意識の反対物にみえる「同和」主義的人権思想にほかならない。

すなわち、菅氏の言う「同和の思想」とは「人権は平等なのだから、わけへだてなくつき合ってやろう、一緒にまぜてやろうという慈善の思想」である。差別者が被差別者に向かって言う思想である。俗に言う「上から目線」である。同和対策事業そのものが、この発想から出発しているのだ。黒川みどり氏がその著書の中で繰り返し言及している<異化と同化>の問題と同質と私は思う。メジヤーがマイナーを受容する意識それ自体が「差別」であることに気づくべきである。

私が気になるのは、「具体的な生き方それ自体のちがいが、貴賤・浄穢・上下の関係として区分されてしまう価値観とその基盤となっている社会構造を、根底から変えること」という一文である。同じことを言っているのかもしれないが、「変える」ではなく「否定する」ではないのだろうか。人が人に対して「貴賤・浄穢・上下」という「価値観」で見ること(判断すること)がおかしいのであり、その「価値観」自体がまちがっていると私は考えている。

私の考えは日本の伝統文化、規範意識を支えてきた神道や仏教を否定することになるかもしれない。しかし、人が人を差別する思想に加担する宗教、その教義が賤視観や卑賤観を導くのであれば、そんな宗教も教義も意味がないと私は考えている。

逆に、「穢多・非人」は「賤民」ではなく、差別もなかったと主張する荒唐無稽な説に賛同もしない。古代から中世、近世を通して、それぞれの時代に対応して変容はしてきたが、社会に必要とされる一方で賤視されてきた人々、すなわち「賤民」と見なされてきた人々がいたのは史実である。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。