秋を感じながら
私は、秋という季節が一番好きだ。心地よい秋風を感じながら朝夕に愛犬と散歩する。今からの季節が、さまざまな思考を巡らせるに最適である。
昨年からハンセン病問題、光田健輔の言動を通して考察している。その一端は「光田健輔論」としてメモ書きではあるが、ブログとnoteに発信している。あくまで関連書籍や資料を読み込んで分析・考察したあれこれを時系列的に書いているだけで、思考を整理している段階である。
光田健輔を追求していくなかで、彼の人格か人間性か、あるいは時代や社会の影響なのか判然としないが、あまりに両極端な言動に驚くことが屡々ある。時にどちらが「本心」「本音」なのかわからないこともある。ただ、私は他者の人格や人間性を明らかにする、たとえば「評伝」のようなものを書く気はない。まして一面識もなく、実際にはよく知りもしない他者を扱き下ろして優越感を得て自己満足するような愚かな駄文を書き殴る趣味はもっていない。
はっきりわかってきたことは、光田健輔は人並み外れた<独善性>と<頑迷固陋>の性情の人であり、他者の言葉に耳を貸すよりも、詭弁を弄してでも「自己正当化」に終始する人間であることだ。口では「救癩」「気の毒な患者を助けたい」等々を言いながら、その巧妙な話術と文章を駆使し、国家や社会のためと大義名分を持ち出して、周囲からの評価を得ようとする。
なにも光田健輔だけではない。最近何かと話題の兵庫県元知事斎藤元彦に関する記事を読みながら、光田と共通するものを感じている。
一昨日の「Yahoo!ニュース」に掲載された、松本創(ノンフィクションライター)さんの文章の一部である。「独善性と開き直り」「自己の正当化を主張する」等々は光田との共通性を感じるし、事が起きるたびに光田が入所者説明会にて弁明してきた発言も、斎藤の百条委員会での応答とどこか似ている。
世の中、時代は流れ社会が大きく変わろうとも、似たような人間は存在する。事実、思い込みの激しさ、他者の言葉を一切受け入れず、曲解と歪曲であろうと独断に終始し、独善性からの自己正当化を繰り返す人間を、私も知っている。自らの主張と所見を唯一絶対と盲信し、他者に対して誹謗中傷・罵詈雑言を繰り返すなど執拗に攻撃し、他者を貶めることで優越感と満足感を得ようとする。しかも、ネットを悪用して、自らはパソコンという「蛸壺」に閉じ籠もり、外部との「対話」を遮断して、一方的な「言い掛かり」を投げつけるだけである。
そんな人間と真面に関わろうとした自分の愚かさを今は後悔している。世の中には理解不能の人間も存在するという教訓だけが残った気がする。それにしても、20数年経っても思い出したかのように、何かにつけて私を引き合いに出して、自己正当化と愚弄を繰り返す。
自分の言動を顧みることなく、被害者を装って、自己正当化に終始する姿は、斎藤元知事に酷似している。自説が正しいから攻撃を受けるだとか、多くの学者や研究者や教育者がネット上から排除しようとするのだとか、被害者を装うことで自らの正当性をアピールしようとしているが、具体的な証拠(実例)も一人の攻撃者の氏名も書いていない。私の名前だけである。
それが意味するところは、事実ではなく虚偽であり、彼の勝手な妄想的思い込みであるということだ。彼一人が何を書こうとも気に留める人間はいないと私は思う。彼を知っている私の知人は皆無であった。事実は、誰もが相手にしていない、相手にしたくないのだと思う。
長く「部落問題」「部落史」から離れている。中断している「渋染一揆論」や「解放令反対一揆研究」「明六一揆論」なども気になってはいるのだ…。
部落問題とハンセン病問題の関連は根深いものがあることを再認識している。差別や偏見について、その歴史的背景においても人間心理においても類似することは多い。「差別の連鎖」という視点から問題の本質も見えてくる。
部落史では「起源説」が重要な課題となる。一昔前までは「近世政治起源説」が主流であったが、所謂、「部落史の見直し」によって、江戸時代に幕藩体制が「士農工商」の身分制度をつくり、民衆支配のために最下層の身分として「穢多」「非人」をつくった、という「近世政治起源説」は否定された。
現在は、「ケガレ」に起因する「中世社会起源説」が主流である。つまり、日本固有の「ケガレ」観が中世(平安期)において貴族社会から民衆社会へと広まり、宗教的な忌避意識と結びつき、異質なもの、異形なるものを排斥するようになったことを起源ととらえ、社会が「差別」を生み出したという認識である。
私は、支配者・権力者による「政治」的意図(目的)によって「穢多」「非人」あるいは「賤民」という被差別民がつくられたという<政治起源説>には納得できない。「政治」や「支配」に利用されたことは認めるが、はたして人間が意図的に「つくる」ことは可能なのだろうか。
むしろ、社会の中にあった<排他的忌避的対象>と見做されていた特定の人々(集団)を政治的目的で体制に取り込んで構造化したと私は考えている。つまり、社会集団の外に存在していた人々、「ケガレ」観によって排除されたり忌避されたりした人々を利用するために、支配下に置いたのである。
差別や偏見、排除や排斥といった人間心理に起因する人間関係や社会関係が広範囲に政治的支配構造に位置づけられたと考えている。
ハンセン病問題もまた、恣意的に喧伝された「恐ろしい伝染病」という虚偽を信じ込んだ人々や社会がつくりだした<差別と偏見>である。確かに、そこには「絶対隔離政策」を遂行する政治的意図があり、政治的政策があった。その意味では「政治」(国家)によってつくりだされたとも言える。だが、その前提には、人々の間に長い歴史的背景があった。「天刑病」「業病」「遺伝病」と認識され、人々や社会から忌避されてきた歴史があり、それを信じ込んできた人々の認識と感情が伝わってきた歴史がある。
私は、差別とは人間感情によって生み出されたものであると考えている。それゆえ、差別をなくすということは、究極的には一人ひとりが自らの人間感情を見つめ直す意外にはない。
差別を助長するのは無関心である。昔、部落の古老に諭されたことがある。その古老は『水平社宣言』を人生の指針として生きてきたと、差別と偏見を乗り越えた半生を語ってくれた。
この一節に出会うまで、自分は部落に生まれた自分を「卑下」して生きていた。しかし、同じ人間として生きているのだ、貧しくとも学校に行けなくても、それを祖先のせいにしたり部落に生まれたせいにしたりすべきではない。祖先や部落を自分が「卑下」しているかぎり、部落解放などできない。
『水平社宣言』のこの一節によって、自らを「卑下」していたことを恥じて、以後は誰に対しても自らを「卑下」することなく、堂々とありのままの自分、つまり部落に生まれ部落に育ち、差別と真っ正面から向き合って生きてきた。
冬の日、囲炉裏を囲んで酒を酌み交わしながら、古老は静かに、そして熱く語ってくれた。繰り返し、彼は自分を卑下する者は部落差別に負ける、部落に生まれたことを「誇り」に思い、人間は互いに「尊敬」してこそ、差別のない世の中になる、そう語っていた。
私が『水平社宣言』の「卑屈なる言葉」の意味を理解できたのは、古老の語りによってである。自分を卑下する者は部落問題を語るべきではない、私はそう思う。同じことを徳島県の活動家から教えられた。彼の口癖は「部落解放とは自分解放である」だ。まずは「自ら」である。自分のすべてを「卑下する」ことなく、受け入れていくことだ。
文意を正確に他者に伝える文章を書くことはむずかしい。真逆に受け取られた経験も、独善的に解釈されたことも、歪曲されたり曲解されたこともある。いくら説明しても真意を理解されず、その一文のみを取り出して、私の本意とは真逆な解釈をして、その解釈をさらに拡大してあれもこれもと尾鰭を付けて批判をされ続けたこともある。
その経験から、可能な限り本意を正確に表現する文章を書こうと心がけるようにしてきた。しかし、世の中には、最初から「批判」することを前提に、文章の本意などお構いなしに独善的解釈によって決めつけてしまう人間もいる。「批判するため」に都合のよいように解釈する。文意も本旨も本意も関係なく、たとえ的外れであろうとも、批判するための解釈に徹する。そのような相手には何を弁明しようと無駄である。議論にも論争にもなりはしない。自己解釈しかできない人間は、最初から理解しようとする意思がないのである。
そんな相手に対して誰もが相手にしたくないのは当然である。きっと本人もわかっているはずだが、認めたくはないのだろう。