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「変体漢文」の読解

通常、いわゆる「くずし字」(原文)を読むことは希である現代において、ほとんどが活字化された「変体漢文」である。一応の漢文の素養と変体仮名を理解していれば意味を判別する程度はできると思われがちだが、必ずしもそう簡単ではない。

右条々、堅令停止畢、若於違犯之輩者、忽可被処厳科者也、仍下知如件、
(右の条々、堅く停止せしめ畢んぬ、若し違犯の輩においては、忽ち厳科に処せらるべき者なり、仍って下知件の如し)

現代語訳すれば、「右の条々は、これを固く禁止する。もし違犯する者があった場合は、早速厳罰に処するものである。よって以上の通り下達する」である。

これは、『日本史を学ぶための古文書・古記録訓読法』(苅込一志)の冒頭「緒言」に例示されている一文である。苅込氏は「この一文にこそ、古代・中世における漢文のエッセンスがよくあらわれている」と言う。

「令」「可」「被」「也」「如」という助動詞、「畢」という補助動詞、「堅」「若」「忽」という副詞、「仍」という接続詞。これらが、古代・中世の文書・記録において、きわめて頻繁に使用される品詞である。
したがって、こうした品詞や語法になれ、その意味を正確に解釈することが、文書・記録の読解のための重要な手段であることは疑いない。古代・中世の文書・記録は、一般に「変体漢文」という独特な文章によってつづられている。つまり、この「変体漢文」を訓読し、解釈することが歴史学の基礎的な作業となってくるわけである。

若い頃の一時期、昔の庄屋さんの蔵などから古文書の類いを探し出して解読するようなことをしていたこともあるが、根気と丁寧さのために膨大な時間を必要とする作業で、求める史料を見つけるのは砂の山から針を見つけるようなものであった。ほとんどが徒労に終わるが、「読解力」だけは身に付いた気がする。その時以後は、「活字化」された<白文>を読み解くことが多いが、その際に、今もって手こずるのが「変体漢文」「変体仮名」の独特の訓読である。一文字を読み違えて文脈から外れた解釈になってしまったり、現代語訳がしっくりこなかったりすることがあり、手元にある古文書解読関係の本を紐解いて確認することが多い。

本書は「変体漢文」の訓読法に特化してあり、著者は地元の就実大学教授であることからも、大学の歴史学のテキストとして構成・叙述されたものだろう。偶然に入った古書店で手にした新本であるが、実にわかりやすい。

私が読むのは、部落史関係の<史料>がほとんどであり、江戸時代から明治初期までが多い。俗に言う「候文」の類いですが、近世文書であっても本書の「変体漢文」の訓読法は大いに参考になる。本書には、歴史学・古文書学・日本語学の参考文献が多数紹介されている。私は辞書類の収集癖はないし、書棚に並べて悦に入る自己満足でもないので、むしろ実際に読解に必要なもの以外に興味はない。(自慢気に購入歴を書き並べて公言している人間もいるが…)

部落史関係の本を読む際に、引用してある<史料>および<史料>集、たとえば『京都の部落史』や県史などは<史料>集が別巻になっているが、それらは「変体漢文」の「白文」である。正確に訓読できなければ意味を理解することも、筆者の解釈を検証することもできない。実際に、引用している<史料>の解釈がおかしいと思うこともあるし、自説や主張に強引に合わせるような「意訳」もある。中には「歪曲」「曲解」の甚だしいものもある。<史料>を掲載せずに「現代語訳」のみの「意訳」を書いて、その解釈が独善的・独断的なものもある。同様のことは外国語についても言えることだが…。

その意味でも、本書には「変体漢文」を訓読する際の最低限の基本知識と用法(「最大公約数的な基準」)が解説してあるので、活用してもらいたいと思う。

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藤田孝志
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。