人種主義の背景
『思想史講義【明治編】』(山口輝臣/福家崇洋編)に「第12講 人種改良」がある。日本優生学の祖といわれる福沢諭吉と彼の門下生が説いた「人種改良論」を中心に、明治から昭和にかけての優生学史の概略と問題点を論じている。
詳しくは同書に任せるが、福沢と彼の弟子による「優生思想」「遺伝論」が論争を生むほどに政治や社会に大きな影響を与え、特に民衆の中に「遺伝」「血統」の考えを広めることになったのは部落史にとっても重要な観点である。
私は高橋の「人種改良論」を所持していないため、黒川みどり氏の『被差別部落認識の歴史』に、高橋が被差別部落の人びとと結婚問題に関して「婚姻法」の弊害を述べた部分を孫引きしておく。
この高橋の主張に関して、黒川氏は次のように述べる。
高橋の主張を受けて、黒川氏が「差別」を2つの観点(立場)で捉えていることがわかる。
それは<理由があるから差別する立場>と<差別すること自体が目的である(意味・理由がある)立場>である。前者は、差別の「理由」を差別を正当化するための「根拠」とする立場であり、その「理由」がなくなれば「差別する」こともなくなる。後者は、差別自体が目的となる、つまり「差別する」ことが目的であり理由である以上、「差別する」ことがなくなることはない。
<○○(理由)だから「差別」する>の場合、理由が差別を正当化することになり、この「理由」が、高橋のように「事実誤認」であれば、正確な認識によって「理由」(「排除の前提となる認識)が消滅(修正・改善)すれば、差別(「排除」)する必然性が失われ、差別はなくなる。
ただ、これは机上の論法であって、実際の日常生活や人間の感情が絡む以上、そんなに単純に割り切れるものではない。それまで思い込んでいた(すり込まれてきた)「知識(認識)」が「誤認」であると改めることができる人間がどれほどいるだろうか。
「差別自体に意味を見いだすような意識や行為」とは何か。
黒川氏が指摘する「自らの地位を脅かし凌いでしまうこと」とは、明治初期、解放令以後の実態である。解放令によって同じ平民となったことで、江戸時代に身分に応じて制限されていた職業や立場(地位)などが<自由>となり、穢多や非人などの被差別民が「自ら」より経済的・社会的に豊かになること(地位の向上)への「恐怖感」をもち、それゆえ江戸時代の「旧習」(身分による制限)に戻そうという「意識や行為」である。その「民衆の意向」や「行為」が最も顕著に実行されたのが<解放令反対一揆>である。
つまり、解放令以前の江戸時代に法制度化されていた<身分差別>の社会、差別が公然と当たり前であった社会にもどすことが「目的」であり、「理由」であった。
高橋は、「身長、体重、頭顱(頭部)」など「日本人種」は「西洋人」に劣るとした。当時、欧米の学者でも「雑婚ノ利害」の定義はない状況だったものの、高橋は「我日本人ヨリ共ニ雑婚ノ事ヲ談セント欲スルモノハ唯欧米優等ノ人種アルノミ」と説いた。
確かに、歴史の教科書や資料集によく掲載された写真、ロシア革命干渉戦争(シベリア出兵)の際に撮影された各国の兵士が整列している写真を見れば、ひときわ小柄な日本兵の姿が目立つ。欧米諸国の屈強な体躯の兵士に比べて貧弱に見えるのは明らかであり、高橋でなくても「欧米優等ノ人種」と思うのは致し方ないだろう。
優生思想が民衆に浸透する中で、従来の「遺伝」「血統」「血筋」を重視する意識もより強くなっていったと想像できる。
明治中期には、遺伝を理由に江戸時代の被差別民との婚姻を忌避したり武士の血統を残したりすることに執着しても、形質改善のため欧米人との雑婚に頓着がない風潮があった点は興味深い。とは言え、「人種改良論」として雑婚が取り沙汰されたのは、結果的に一時の現象だった。
例え「一時の現象」であったとしても、「人種改良」は民衆に「人種」という概念を植え付けるには十分であった。「人種主義」は「血筋」「血統」「遺伝」と深く結びついて差別を正当化する思想となり、部落差別を温存する「背景」となって民衆の中に根深く残っていった。
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。