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寡黙の中の言葉

自分の“note“を整理していたら、2年半前に書いた文章を何故か削除していた。あまり個人的なことは公開しない主義だからかもしれない。読み返してみて、父親の死について素直な感想を書いていると自分でも思う。以前、福島県の隠退牧師(当時は山口県の某教会牧師)が私の講演録の一部のみで、私と父親の間に「確執」があるとか、私が父親を「学歴差別」しているとか独断的解釈で書いたことがある。一面識もない人間が他者の家族について誹謗中傷することに唖然としたが、その人物の偏執を知り、相手にすべき人間ではないと悟った。たぶん、そのことも削除に関係しているかもしれない。

私にとっては寡黙だった父親が語るわずかな言葉の奥にある深い愛情と思いやりが心に刻まれている。正直な思いを残しておくべきと思い、再掲する。


父親が逝った。壮年までは病気とは無縁の壮健な身体であったが、頸椎を損傷してから徐々に下半身が弱り歩行にも支障を来すようになった。肺癌の手術を乗り越え、さらに間質性肺炎を患いながらも弱音を吐かない父親であった。しかし新たな進行性の癌が肝臓に転移し、わずか10日ほどで容体が急変しての死であった。
最期は緩和ケアに入院でき、主治医と看護師の献身的な介護によって痛むことも苦しむこともなく穏やかな眠りに入ることができた。心より感謝している。「緩和ケア」がここまで患者に寄り添い、細心の心配りが行き届いているとは驚いた。患者本人ならびに私たち家族への思いやりの言動には感服するしかなかった。


通夜の当日、伊集院静の新著『もう一度、歩きだすために』が届いた。父親の眠る傍でページをめくっていたとき、次の一文が目に留まった。

親が子供に対してできる教えや、教育はさまざまだが、“親が子供にする最後の教育は、彼、彼女の死である”と言う人がいる。
つまり自分が死ぬことで、そこで初めてはじまり、初めて教えることができる教育があると言うのである。この教育の意味も、私は今まで何度か実感しているが、ーそうか、このことを父は私に言おうとしていたのか…。と初めてわかる教育は大変、意味深いものであったりする。
父と子であれ、母と娘でもかまわぬが、人の死はテキストや教科書とは違い、寡黙の中の言葉であるから、人々の内面にたしかなものを刻むらしい。

伊集院静『もう一度、歩きだすために』

親類縁者、友人や知人、教え子の死を幾度となく経験してきたが、最も近しい家族の「死」は初めてである。高齢の父親からは「老い」というものを学んできたが、最期の「死」を通しての学びはまったく異なるものである。
肉体が物質へと還元していく様相を時間の経過を追いながら眺めていく中で、学ぶことは大きかった。「死」から通夜、葬儀、火葬という3日間、私の脳裏では、過去と現在が行きつ戻りつし続けていた。時間が直線的ではなく、曲線的であるかのように過去と現在が混在する。時間は現在を瞬時に過去へと変えていくが、一方で「過去」は「現在」に蘇って、今にある。

私も木田元さんほどではないが、ハイデガーに傾倒し、『存在と時間』に沈潜してきた一人である。原文と訳文を何十回となく読み返してきたことだろう。確かに難解である。自己流の解釈などでは到底歯が立たず、さりとて数限りない解説書の類いを読み漁っても、理解した途端に辻褄が合わなくなる。それでも、長年に渡り、離れては戻り、戻っては離れるを繰り返す中で、新たな解説書や研究書を読み、一応は理解できた気になっていた。

父親の「死」について思いを巡らせていたとき、父親から聞かされた人生や60数年連れ添った母親からの話を追想していたとき、ふいにハイデガーが『存在と時間』で解明しようと試みた「存在の概念」について感覚的・実感的に理解できたように感じた。今までは知的理解に過ぎなかったハイデガーの提起する諸概念が、父親の「死」を通して<こういうこと(意味)だったんだ>とわかった。特に『存在と時間』の第2篇で示される「死」については漠然とした頭の中だけの理解に過ぎなかったような気がしている。父親という眼前にある「存在」が「死」という現象を体現したことで、その「生」から「死」への変容を(疑似)体感することができたからだと思う。

あらためてハイデガーを読み直してみたいと思っている。

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藤田孝志
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。