なぜエルメート・パスコアールは、今度は八戸に行くのか?/〈FRUE AOMORI〉担当者に聞く その1
2023年11月11日、エルメート・パスコアールの青森県の八戸市南郷文化ホール公演が行われる。コロナ禍をはさんで4年半ぶりの来日。ジャパン・ツアーは11/1の東京Billboard Live Tokyo公演からスタートし、FESTIVAL de FRUE(11/4)、大阪ユニバース(11/7)と続き、最終日が青森(共演:折坂悠太)となる。
しかし、ことはそう簡単な話でもないし、単に変わったところにブラジル音楽の至宝を連れてゆくことを面白がっているわけでもない。あくまで公演はFRUEの一環ではあるけれど、そこには、ひとことでは済まされない人間たちひとりひとりの深い思いと運命のあやがある。それは2018年、2019年に実現したエルメートの熊本県八代市での公演でも同じだった。
今回の青森公演には、FRUE AOMORIを立ち上げたキーとなるふたりがいる。八戸でカフェ、6かく珈琲を営みながら、さまざまなイベント運営にもかかわるヤスさん(吉島康貴)、エルメートをはじめブラジル人ミュージシャンのアテンド、通訳などFRUEに欠かせないスタッフでありミハルさん(松橋美晴)。ふたりとも故郷が同じ青森南部で、音楽に対する並ならぬ熱い思いを持つ。彼らの存在が、この奇跡的な公演の実現に結びついたのは間違いない。そして、実現するだけならただの「奇跡」だが、成功し、今後につながることでこの「奇跡」は「現実」にもなる。
というわけで、八代公演で現地担当の山口さんに取材したこの記事の流れを汲んで、今回もやってみることにしました!
「なぜエルメート・パスコアールは今度は八戸に行くのか?」
初回はまず、ヤスさんとミハルさんが今回の青森公演開催に至るまでの経緯を聞いていった。
──エルメート・パスコアールが約4年ぶりに来日し、さらには青森でツアー・ファイナル(11月11日、八戸市南郷文化ホール)。かつてぼくの地元である八代での公演(2018年、19年)を2回体験した者として、これは黙ってはいられないなと思い、実現の要となったおふたりに話を聞こうと思いました。これはふたりの合作?
ミハル うーん。どう言ったらいいのかな。
ヤス やっぱりまあ、ミハルさんあっての青森公演ということですよね。ミハルさんの生まれ故郷でやりたいとエルメートが前々から言っていたと、ぼくも聞いてましたし。
ミハル 「八代でもできるんだったら青森でもやりたい」とはいつもFRUEのスタッフと話はしてました。エルメートと「どこ出身なの?」って話をしていたんです。アニ(FRUE主催の山口彰悟)の実家のある八代には彼らは行ったわけで、「わたしの実家のある青森もめっちゃいいところだからいつか行こうよ」「行きたい行きたい」って盛り上がってたんです。それがついに実現して、本当に行くことになった感じかな。わたしは単純に、自分の故郷を彼らに見せたかったんです。エルメートも何回も日本に来てあちこちに行っているけど、北日本はまだ行ったことがなかった。
ただ、わたしは今は東京に住んでるので、だれか向こうで手伝ってくれる人がいたらいいなとは思っていて、そこにヤスくんが登場したんです。ヤスくんは八戸で6かく珈琲というカフェをやっていて、わたしが取締役を務めていてブラジル・アマゾンの食材を扱っている会社、AMAMOS AMAZONからカカオを買ってくれていた。知り合う前からつながりがあったんです。
ヤス そうです。アマゾンのカカオの取引をしていたのが先ですね。ミハルさんと直接知り合ったのは去年の〈森、道、市場〉に出店したとき。
ミハル わたし、あそこのマーケットでアマゾンの先住民が作った雑貨を売ってたんです。ヤスくんとは同じエリアで、「あれ? 6かくさんってうちのカカオ買ってくれてなかった?」と思って話しかけて。
ヤス その場で「FRUEに出たいんですけど」ってお願いしました。
ミハル 「え? 出たいの? どうしよう!」みたいな。
ヤス でも、その場の判断でOKしてくれましたね。
ミハル ヤスくんとわたし、面識はなかったんだけど、たどっていくとつながりはあったんです。それを説明するには、少し話が遡るんですが、わたしは2000年に初めてブラジルに行くんですけど、その頃から通っていたsaule branche(ソールブランチ)っていう、街でいちばんおしゃれな服屋の店主だったYAMさんとバンドを組んでいるタクちゃんのやっているカフェがあるんです。その店の店主がYAMっていうおじいちゃんで、FRUEのフライヤーのイラストを描いてくれてます。YAMさんはケペル木村さんたちと『中南米音楽』っていうフリーペーパーを作っていた人で、わたしはそれを読んで「わー、ブラジルっていいなー」と憧れていたんです。
ヤス YAMさんとふたりでバンドをやってるタクさんという方がやっているカフェが、saule branche cafeです。
ミハル 青森で唯一の、ブラジル料理やブラジル音楽を味わえるお店ですね。
ヤス タクさんは、音楽面でもお店作りの面でも、東池袋にあるカフェ、KAKULULUの高橋(悠)さんの師匠筋みたいな存在なんです、ぼくはYAMさんやタクさんの孫弟子にあたる感じですね。
──ヤスさんはどういう経緯で八戸で6かく珈琲を始めたんですか?
ヤス 18歳で東京に出て、4、5年くらいいました。服飾の専門学校を出て、スタイリストのアシスタントなどをやってたんですけど、ぼくも唐突に「このままいたらこの人生だな」と思ったので、一回東京を離れて青森に戻ることにしたんです。それで漠然と「田舎に住みたいな」と思っていたとき、炭焼き、チャコールに出会って「これだ!」と一目惚れしたんです。
それで炭のなかでも最高級のものを焼きたいと思って、備長炭を焼く修行をするために宮崎の山村に移住しました。そこで5年くらい備長炭を焼いていたんですが、それまではいっさいコーヒーは飲んでなかったんです。炭焼きのために移住してきた仲間のひとりがコーヒー豆を炭火で焙煎していて、「そんなやり方があるんだな」と眺めていたんですが、それがきっかけでハマり、今はメインになっているという。そして結婚を機に青森に戻り、お店を始めるという選択になったんです。ざっくり話すとそういう感じです。
ただ、移住して備長炭を作って売っているだけでは、収入的には厳しい。じゃあ炭を焼く生活を成り立たせるにはどうするかという発想で、コーヒーを焙煎し、カカオを焼いてチョコレートを作り、焼き菓子も作った。自分のなかではすべて「炭の加工品」という認識で、そのなかでいちばん大きい部分を占めてるのがコーヒーなので、コーヒー屋をやってるという理解なんです。
──saule branche cafeとヤスさんの関わりはどうやって始まったんですか?
ヤス 実は八戸にいた若い頃は、地元なのにYAMさんやタクさんとも出会ってなくて。備長炭を焼く前に、季節労働で全国を北海道から沖縄まで2年くらいまわってたときに知り合った旅人が、「八戸だったら、こんな人たちがいるよ。大間でフェスをやってるんだけど」と誘ってくれて。それが、大間の原発の敷地の横でYAMさんが主催していた反核ロックフェスでした。そこでYAMさんたちとつながり、やがてミハルさんとも知り合って。
ミハル ヤスくんと知り合ってみたら、コーヒー屋さんだけではなく、結構いろんなことをゴリゴリやってるイベンターだったんです。
ヤス 音楽も民謡から四つ打ち、電子音楽まで好きですし、クラブイベントも好き。ただ、青森には聴く環境がなかった。それで文句言ってるだけなのもイヤなんで、レイヴやクラブイベントを企画し始めたんです。ぼくはライブもDJもやらないし、企画して現場を作るのに面白さを感じているタイプなんです。
ミハル ヤスくんとならいろんなことができるから、「(青森のエルメート)できるんじゃね?」と思ったわけです。タクちゃんやYAMさんは年上の先輩だし、わたしも恐縮するじゃないですか。でもヤスくんとは彼らよりもうちょっとゴリゴリできる。
──ゴリゴリ? 現場でいろいろ動ける、みたいな?
ミハル そうそう。
ヤス 今回、エルメートをやる南郷は、ここ10年くらいで八戸市に合併された村なんですけど、そこで30年くらい前に村長だった方が「ジャズ・フェスティヴァルをやろう!」って提案して、ファラオ・サンダースが来てるんです。
──なんと!
ヤス 今も“ジャズの郷”と名乗っていて、毎年ジャズフェスをやってます。もともと青森市にあった伝説的なジャズ喫茶、jazz time disk(ジャズ タイム ディスク)の方がブッキングを担当していたんですよ。そのお店は去年閉まっちゃったんですけど。
──なるほど、そういう背景があったんですね。とはいえ、大きな規模の公演を引き受けるとなると、結構な決断じゃないですか?
ヤス ミハルさんはタクさんに「エルメートを青森でやらない?」と数年前から声をかけていたんですが、自分たちだけの力では大変で。今回、FRUEのツアーの一環というかたちでついに「やろうか」という流れになりました。
──八代公演のときは、ぼくも取材させてもらったFRUEの山口一家が地元のお寺でありながら立川談志さんを招いていたり、兄弟のキャラクターだったり、無謀なようにも思えるけど、やってみたらできそうだと思える要素があったと感じてます。八戸の場合は、今お話を聞いた感じだと、もともとブラジル音楽に対する熱意が高いコミュニティがあったということも大きい? なぜ八戸でブラジルは盛り上がった出たんでしょう?
ミハル いやー、本当にわからないんですよ。みんなバラバラそこにいたけど。でも、青森でブラジルのことを知るにはYAMやタクちゃんを通るしかなかったと思う。
ヤス YAMさんがサンバ・チームをやってたり。
ミハル そういう登竜門もあったけど、わたしはまたちょっと違ってて。盛って「八戸の近くです」って言ってるけど、上北(町)っていう八戸から車で1時間くらいかかるものすごい田舎なんです。湖のほとりにある町で、本当に何もなくて。
ただ、三沢の米軍基地が近いんで、米軍関係者が音楽をやりに集まるライブハウスはあります。ウッドカンパニーっていうお店で、そこが現地ではジャムセッションの聖地みたいな場所だったんですが、そのオーナーがなんとわたしん家の真裏に住んでたんです。それで、いつもすごいスピーカーで爆音でマイルス・デイヴィスとか聴きまくってて、毎朝、B・B・キングで「うるせえな!」って目が覚める、みたいな感じでした(笑)
でも、その影響をわたしは受けちゃったんです。窓越しくらいの距離で「おい、ちょっとギターやらねえか?」って声かけられたりして。それで音楽が好きになって、ウッドカンパニーにも通うようになり。その店でジャズをいろいろやってると、その奥にはブラジル音楽もあって、ブラジル音楽を好きになって、頭のなかが「ブラジル、ブラジル」になって『中南米音楽』とかも知っていったわけです。
──そんな濃厚なブラジル音楽の溜まり場が比較的近くにあったわけですよね。田舎とはいうけど、その環境は幸運じゃないですか。
ミハル そうですね。でも、青森県民って仲良くなるのにすごく時間がかかるから話しかけたりしてない。すぐに友達になったりなんかしないんです(笑)。わたし、お店に通いながらもYAMたちとしゃべったりしてなかったんですよ。お店に行ってちらっとその人たちを見ては「あ、いる」って思ってた程度で(笑)
ヤス 確かに、東北の人たちは時間がかりますね(笑)
──現在のミハルさんから、その内気キャラは想像つかないけど(笑)
ミハル いやいやいやいや、時間かかりました。ブラジルから帰ってきて群馬県の大泉町に移り住んだんですけど、ブラジル人向けのスーパーマーケットで働いてたときに、お店でブラジルのドリンク、ガラナアンタルチカを扱っていて。それを八戸に戻ったときsaule branche cafeまで行って、タクちゃんに渡したんです。そのとき初めてちゃんと話したと思う。「あのー、わたし以前にここに来て“ブラジルに行くんです”って言ったの覚えてます?」って話しかけたら、「覚えてるよ」って言ってくれて。
──ちなみに、八戸のブラジル熱と、ねぶたとかねぷたという青森のお祭り文化は全然リンクしない?
ヤス しないです。そこは文化圏がちょっと違うんです。八戸は青森の南部地方なんですけど、そこではねぶた(青森)やねぷた(弘前)とも違うお祭りで、三社大祭というのあるんです。
ミハル えんぶりっていう冬のお祭りもあります。
ミハル こっち(八戸)は、津軽に比べてもっとダークなんですよ。だって、八甲田山の向こう側は晴れてても、こっち(八戸)側はいつもお天気が悪くて、じめっとしてるの。青森に向かうトンネルを抜けると、あっちはカラッと晴れてて、いつもモヤっとする(笑)。だから、わたしは今回、南部(八戸)でエルメートをやってみたかった。頭のなかの区分けが「県」じゃなくて「藩」になってるからかな(笑)
ヤス それまで別の藩だったのを廃藩置県でひとつの「青森県」にしたようなところがあるんですよ。だから風土も違う。
ミハル 言葉も違う。天気も食べ物も違う。
ヤス むしろ岩手のほうがもともと同じ藩だったので、言葉も気質も八戸と近いかも。
ミハル 青森出身だって人と話してても、「わたし、弘前」って言われたらもう全然違う(笑)
──面白いですね。東北って地図で見ると山陰山陽と同じくらいかなと思うけど、実は全然大きくて広いんですもんね。地域性が違うというのは、外からはなかなかわからない。これはこじつけでいうわけじゃないけど、ブラジルも「ブラジル音楽」ってまとめていうけど、めちゃめちゃ大きな国だし、地域性も全然違うじゃないですか。最近、ようやくそれがもうちょっと細分化されて認識されているけど。
ミハル 青森に関しては、それはめちゃめちゃあるよね。こっちは劣等感が強いから(笑)。とにかく南部でやりたいという気持ちはずっとありました。わたし、ブラジルに行くとき家族の反対があって大変だったんですよ。でも、わたしがそこまでして行ったブラジルの音楽ってこんなにすごいんだよって、お父さんや地元の人にいつかは知らせたいと思った。今でこそ西友でもボサノヴァが流れてるけど、当時はラモス(瑠偉)くらいしかみんな知らなかったんだから(笑)。
今回、わたしたちが生まれたところにやっとブラジル音楽を持って来れる。それってめちゃくちゃしびれるというか、「これがわたしたちが好きなブラジルなんだよ」って見せたいわけ。何十年もかかったけどね。
もともとYAMさんやタクちゃんにも「エルメートやるなら南郷だよ」ってずっと言われてたんです。八戸から電車もないし、車でも30分くらいかかってアクセスもちょっと不便だしなと思ってたんですけど、あそこならやりたいと彼らも思っていたみたいで。わたしもどうせ青森でやるなら、それが面白いと思ってくれる人たちとやりたいなと思って。だから、今回〈FRUE AOMORI〉でインスタを立ち上げたんですけど、旅のお供になるような情報を載せてます。
──FRUEのイベントだから、当日はマルシェとかも展開するんですよね。ヤスさんのオーガナイズで。
ヤス そうですね。東北の、わりとポイントになるお店に声をかけていて。
ミハル みんなに本当に見てもらいたい。首根っこつかまえても「見てよ!」って言いたい。「青森行ってみたかった」という人、結構いると思うんです。そういう人たちに向けた「初めての青森ヴァージン」をエルメートで奪います。
ヤス 関西方面からの反応がわりといいような気がします。東京よりも東北に対して異国っぽいカルチャーショックがあるみたいです。
──八代のエルメートも2回実現したし、去年はキャバレー、ニュー白馬で坂本慎太郎公演も実現しましたしね。1回やっちゃうとクセになって、いろいろアイデアが出てくるみたい。
ヤス そうなんですよ。ぼくも第2回のことをもう考えてて(笑)。もともとぼくは四つ打ちが好きなんで、FRUEでアシッド・パウリが来たときにその流れで呼べないかなと考えたりしてました。
ミハル ヤスくんのアイデアがすごいんですよ。十和田湖の遊覧船を貸し切って、アシッド・パウリがDJして、水面をスピーカーにするとか(笑)
ヤス 十和田湖がスピーカーになるんですよ! 土地を使ったインスタレーション。あと、青森港にランドマークみたいな巨大な三角の塔、アスパムっていうのがあるんですけど、展望台が貸切にできるんで、そこで企画を目論んだこともあります。青森のねぶたって、最後に灯籠を海上運航して花火を挙げるフィナーレがあるんですけど、その最終日に、展望台を貸切にして海の上をいくねぶたを見ながらDJ NOBUでパーティーをできないかなとか。うまくいきそうだったんですが、コロナになっちゃって企画自体が流れてしまったんです。
ミハル 実現したら超鼻血でそう(笑)。ヤスくんは前からアシッド・パウリを青森でやりたいって言ってたから、今回エルメートをやったらいつかパウリもできると思ってくれたんじゃないかな。
──やばい。発想がFRUE的ですね。FRUEの北の拠点として盛り上がりそう。
ミハル ヤスくんだったらいつかやれるよ!
(第二回につづく)
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Hermeto Pascoal e Grupo
エルメート・パスコアール&グループ
Hermeto Pascoal e Grupo来日メンバー
Hermeto Pascoal (keyboard, accordion, teapot, bass flute, his skeleton, cup of water...)
Itibere Zwarg (electric bass and percussion)
Andre Marques (piano, flute and percussion)
Jota P. (saxes and flutes)
Fabio Pascoal (percussion)
Rodrigo Digão Braz (drums and percussion)
11月1日(水) 18:00 21:00 東京・Billboard Live Tokyo
11月3日(金)4日(土) 静岡県掛川・FESTIVAL de FRUE 2023 (つま恋リゾート 彩の郷) (出演は11/4)
11月7日(火) 18:20 大阪・大阪ユニバース / with Blake Mills
11月11日(土) 16:00 青森・八戸市南郷文化ホール / with 折坂悠太
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