ぼくの平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック アウトテイク2 平成元年(1989年)

 最近、ハイファイ・レコード・ストアで一緒に働いている同僚の話に「福ちゃん」という名前がよく出てくる。
 その福ちゃんはSweet Dreams Pressを主宰する福田教雄くんのこと。ぼくも結構長い付き合いになるが、彼のことを福ちゃんと呼んだことはない。なんだ、そんなに親しくないのかよ、ってことではなく、ぼくの記憶のなかにいるもうひとりの「福ちゃん」が頭の片隅からちょっかいを出してくるから。
 ちょっかいといっても、ぼくの知ってる福ちゃんは無口な男だったから、クレームをつけてくるわけじゃない。彼はただ、ずっと記憶のなかの岸辺に座っている。それは夜の岸辺。船が停泊していたような気がする。ぼくとぼくの同級生のケンキチと福ちゃんが座っている。終わりに近づいた長い旅。1989年の尾道。

 ぼくと黒木とケンキチと福ちゃん。大学生の男4人ではじまった九州旅行。車はケンキチの家から借りた。ぼくと黒木は免許を持っていないので、ドライバーはケンキチと福ちゃんに頼った。さいわいなことにふたりとも運転は大好きな性分だった。
 ルートは、東京をスタートし、京都から神戸、神戸からフェリーで大分、大分から八代(ぼくの実家)、熊本からフェリーで島原、そして長崎で警察沙汰の騒ぎになりかけ、翌朝に黒木が失踪、というのが旅の中盤まで(長崎の夜の顛末が『ぼくの平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック』にも書かれている)。
 3人旅になったものの、高速代を考えるとすでに軍資金も危うかったので、長崎からは折り返しで東京への帰路となった。そして、広島から流れ着いたのが尾道の街だった。
 映画『転校生』の街だという興奮もあったものの、すでに3人の心身も疲労困憊だったことを覚えている。アーケード街に銭湯があって、そこで何日かぶりの湯船に浸かった気持ち良さをなんとなく覚えている。
 夜になると、落ち着いて寝られそうな場所を探した。もちろん宿に泊まるお金なんてなかったからだ。うろうろするうちに岸辺の草むらを見つけ、そこで寝ることを決めた。寝る前に3人座って、缶ビールを開けた。
 あらためて整理すると、ぼくとケンキチは同学年の3年生(歳はケンキチがひとつ上)、福ちゃんは2年生だが3浪していたので、ケンキチのひとつ上。黒木は1年生で、ぼくより一歳下だった。つまり、年齢順に並べると、福ちゃん、ケンキチ、ぼく、黒木の順になる。
 ケンキチとぼくはなんとなく仲がよくて、前の年から車を使ったロードムーヴィー的な旅の話を妄想しながら酒を飲んでいた。そもそもこの九州旅行はその発展形で、そこに起爆剤として黒木が加わったかたちだった。
 あれ? 福ちゃんはなぜここにいるんだろう?


 無口だが憎めない性格の福ちゃんは、サークルで愛されていたというより、むしろ度を越した感じで目立たず主張のないキャラクターだった。自分が歳上ということをぼくら以上に意識していたのかもしれない。そりゃそうか。自分が高校3年だったときに中3だった子たちと同級生としてタメ口で話したり、はしゃいだりしなくちゃならない状況は、自然と彼を仏様のようにしたのかもしれない。
 だけど、たまにポツポツと言葉を交わしたときの彼の気取らないユーモアのセンスがぼくは好きだった。我慢強そうだったし、体力もありそう。かといって文章を書きたいというタイプでもなさそうで、なぜミニコミを作るサークルに居続けていたのかは謎だったが、どっしり感のある存在や敵を作らない感じは、サークルの次期幹事長に向いてる気がした(編集長とは別に、サークルの会計などを担当する要職だった)。
 長時間の運転を耐えられる人材がもうひとり必要ということになって、そのときにぼくが「福ちゃんは?」と無責任に名前を挙げたのかもしれない。
 出発の夜は、ある初夏の日。学生たちもまばらになった校内にぼくらは集まった。そこに福ちゃんは何の疑問も持たずにいたように記憶しているが、本当にそんな野宿旅に巻き込まれるということを自覚していたのだろうか?

 尾道の夜、ぼくとケンキチはビールを飲みながら、とりとめもなくいろんな話をした。福ちゃんはたしか下戸だった(優秀なドライバーの条件)。そのうち、福ちゃんはなぜこの旅に参加したのかという話になった。ぼくらだってたいした決意があったわけじゃない。見たことない場所に行ってみたいという気持ちはそれぞれに共有していたはずだけど、ぼくに関していえばうまくいっていなかった彼女との仲からひとまず逃げ出したかったという思いもあった。
 福ちゃんはすこしだけ考えて、ポケットから財布を取り出した。そして、二つ折りの財布から一枚のカードを取り出して見せてくれた。


 「……なに? これ?」
 「これはね、宇宙飛行士認定証」


 ぼくとケンキチはしばし絶句した。そんなに長い時間じゃなかったかもしれない。だけど、つばを飲み込むゴクリという音が自分で聞こえたくらい、あたりは静かだった。
 その宇宙飛行士認定証は、1985年のつくば万博で配布されたノベルティグッズだった。
 「大事にしてるんだ」


 福ちゃんはそれ以上多くを語らなかった。
 宇宙飛行士認定証? それってどれくらい特別なの? それとこの旅のどこが関係あるの?
 ……でも、どこか果てしない場所まで行きたいってことか。想像力を超えてはるかに広がる向こう側まで。そのとき、福ちゃんはそう決めたってことか。
 ぼくらは膝をきちんと組み直し、福ちゃんに向かい合った。
 「福ちゃん、それを持ってるのは偉いよ。飲もう」
 ビールとジュースで尾道の夜に乾杯をした。

 その後も旅は岡山、京都と続き、東名高速を走ってるうちにタイヤが妙に滑り出して運転が危うくなり、最後は高速を降りて一般道で東京までたどり着いた。ほどなくその車は廃車になったと聞いた。
 そして、福ちゃんは結局、サークルの幹事長に就任した。すでにそのとき、ぼくはサークルを辞めていたけど。
 卒業まで福ちゃんを見かけることも何度かあったけど、あの旅のように話をすることはもうなかった。うわさ話だが、福ちゃんは8年生まで在籍して除籍になったという。卒業後の消息もまるでわからない。あれほど運転が好きだった福ちゃんだから、もしかしてタクシー・ドライバーになっているかもしれないと思い、似たような眼鏡をかけている運転手さんにあたると、ネームプレートを確かめたことも何度かある。
 それとも福ちゃんは宇宙飛行士になる夢をまだ追いかけているのかもしれない。ロケットには乗らない方法で。

 つくば万博の宇宙飛行士認定証は、別に特別な資格ではなく、入場者の多くが手にできたものだったとのちに知った。でも、ぼくはあれは世界中で福ちゃんしか持っていない宇宙飛行士認定証だといまも確信してる。
 だから、ぼくにとっての「福ちゃん」はいまだにあの福ちゃんだけだ。
 福ちゃん、今度あの夜以来31年ぶりに尾道に行くよ。


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