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六月の台風

 実家に帰れば仏壇に手を合わせることが習慣になった。

 80歳まであと何回ご飯が食べれるか計算したかあちゃんは、その日から手の込んだおいしい料理を作るようになった。
 じーちゃんが死んでからあまり眠らなくなったかあちゃんは、その分の空いた時間シャカリキに庭仕事をしている。月明かりで草むしりをするかあちゃんと遭遇した時は泥棒かと思って右手にスコップ持って近づいた。

 細やかに行ったじーちゃんの七回忌。バイクに乗って颯爽と現れたお坊さんはサラリーマンみたいな髪型をしていて、メガネの耳に掛けるところ(先セル)に音符が付いていた。
お坊さんのつむじを探しながら先セルを眺め、趣味は音楽かなと想像しながらお経を聞いた。
その後母ちゃんと初めてのカフェで珈琲をした。
 七回忌も珈琲も初めてばかりで、気を抜くと今日が無かったことになる感じがしたから、かあちゃんの白髪を引っ張るなどした。

 七年という歳月は地元のTSUTAYAを耳鼻咽喉科にしたし、かあちゃんの頭を大分白くして私は山に登るようになった。
 毎日とても幸せだ。
 かあちゃんは食欲旺盛だ。

 登っている時間、何も考えられないくらい辛くて苦しくて帰りてぇ。帰りてーーー!と大声出すことはしょっちゅうで、でもここで下山させないのが私の身体で、
心と体のベクトルが真逆の状態で何時間も登り続けることをやめられないんだからいい加減馬鹿だなと思う。

前穂高の寒風や、白馬岳に降った初雪の厳しさ、雨の中の南アルプス縦走。

 ひとり自分を追い込み極限状態で飲む水や前触れもなく出会う絶景は何にも変え難い。
 いつ訪れるかわからないその時を待ってるのか迎えに行ってるのか、続ける自分は大馬鹿者だ。でも多分また、雪が溶けたら山にいる。

気狂いに山に通っていた時、出会ったのは六月。
ものすごい速さでいろんな人を巻き込む力はまるで台風。
お前は一生孤独だ。と言い放った。
やるやつはやる。と溢した。
お前はそのままでいけ。とも言ったその時、
目が合った。
六月の台風の稲妻率に目を見張り、寝るのは死んでからいくらでもできるよなと思って生きた日の夜、本当に久しぶりに深く、眠りについた。

あんたの足冷たいからやだ。
と揉め笑う家族の隣
こうしたらバナナ狩りができるでしょ?
って自信満々に言うきみの隣
お前たち魚顔だな。
と目尻に皺を寄せる隣

幸せという土台が崩れたことは一度となく、やさしさを忘れては思い出してを繰り返す。
色んな人の隣で進む季節の中で精一杯、生活する。そんな生活と地続きに作品として形に残す日々もあっという間に過ぎて、きっとすぐじーちゃんの十三回忌になるんだと思う。私も誰かに稲妻落としたい。

広い世界を見ろと分厚かった前髪を吹っ飛ばした六月の台風は、いつだって私の追い風だ。

写真:英夢


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