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恋をする前に失恋確定した私がそのとき気づけなかったこと

中学1年生の春、私はクラスメイトの男の子がちょっと気になり始めていて、ある時彼が部活を見に来てと言うので、喜んで見に行きました。

私の姿を見るや否や、彼は笑顔で声を掛けてくれ、私はそのまましばらく彼の雄姿を眺めていました。

ところが、最初は微笑みながらこっそり私と目を合わせていた彼が、だんだん不機嫌な表情に変わって行ったのです。

どうしたのだろうと思いながらも、ただボールを追う彼を見つめていたのですが、ついに私を睨むような眼になり、恐くなって私はその場を後にしました。
帰宅後反芻しても、思い当たることがなく、悶々としながら一晩過ごした記憶があります。

翌日学校で会った彼に、凄い剣幕で真っ先に言われた言葉がこれでした。

「お前、昨日俺のこと馬鹿にして笑ってただろ。人として最低だな」

昨日の彼はカッコよかったのです。何をやっても動作が美しかった。
決して馬鹿にしてなどいなかったし、むしろ誇らしかった。
きっと私の顔はほころんでいたことでしょう。
それを馬鹿にしたと受け止められたとは想定外過ぎて返す言葉が見つかりませんでした。

そう、今ならわかるのです。その出来事は彼の問題で私の問題ではないことを。

でも、12歳の私にはそれがわかりませんでした。
いきなりそう言われて恐怖にかたまってしまい、何も言い返せなかったことで、彼の言葉はそのまま真実として受け止められ、私はその後3年間彼に嫌われることになりました。

好きな人を見て、ニヤニヤしていたら馬鹿にしてると思われて嫌われて、散々だったという思春期の思い出。

何が言いたいかというと、人間というものは、自分の捉えたいように物事を捉えているということです。
それは、本人が自覚して望んでそうしている時もあれば、気付かずにそうしている時もあると思います。

いずれにしても、時には事実と真逆に捉えてしまうこともあるほどで、人間の脳は素晴らしくもあり、厄介でもあるなぁと。

考えてみれば、多かれ少なかれこんなことないですか?

優しくされた、嬉しい言葉をかけてもらった、なのに何か裏があるんじゃないかとか、信じて後でしっぺ返しが来るんじゃないかとか、そもそも自分の勘違いなんじゃないかとか思ってしまうこと。

そう、これは恐れです。
恐れと言うと、ネガティブな響きになってしまいますが、転ばぬ先の杖であり、ある意味自分を守ってくれているものでもあります。

進化した人間の脳が、傷つかないように、苦しまないように、悲しまないように、バリアを張って守っているのです。
つまり、人間なら誰にでもあることなのですが、度が過ぎるとどうなるか。

このnoteにも書いたレッドシステムが暴走してしまいます。
暴走した結果、役に立たない考えを繰り返し、単なる想像を事実として記憶してしまったり、思考のバランスを失ってしまうのです。


苦しい時、人はふと気づくことがあります。
もしかして起きている出来事よりも、自分の考え方に苦しんでいるのかもと。

これまでの人生の中で学習し、出来上がったその考え方は、人間の厄介な脳の仕業です。
であるならば、再び学習によって考え方を変化させることが出来るはずです。

コンパッション・マインド・トレーニングでまずやるのはマインドフルネスです。
自分の思考に気づいて、ニュートラルにそれを受け止めます。
また自分の感情をできるだけ正確に気づくようにします。
「怒り」と言っても、「ムカつく」のか「イラつく」のが「ぶん殴りたいくらい頭に来ている」のか、丁寧に観察するとそれぞれ異なることがわかります。

そうして一歩引いたところから、自分自身を観察するだけでも、かなり心が落ち着いてくるのがわかると思います。

私はコンパッションのトレーニングをするまで、マインドフルネス=座禅⇒よくわからん、くらいのイメージしかありませんでした。

しかし、コンパッション・フォーカスト・セラピーを学ぶことで、はじめてマインドフルネスとは何かということを知り、ああこれがすべての出発点なんだなと実感したのです。

思考や感情に気づいたら、そこにセルフ・コンパッションを向けて、なるべく偏りのないバランスの取れた考え方に変化させていきます。
この偏りのないバランスの取れた考え方というのが重要で、例えば「優しくされたけどなにか裏があるに違いない。喜んでいたらきっと悪い事が起きる。あの人と仲良くするのはやめよう」と特に根拠もないのに思った時に、180度舵を切っていきなり相手を100%信じ込もうというのではありません。
あ、レッドシステムが活性化しているな、と気付いて、「不安になってるね。後で嫌な思いをしたくないから、今そう思って自分を守っているんだよね。」と、コンパッショネイトな自分になって語りかけ、まず心を落ち着かせます。
落ち着いてくると、そのきっかけになったことだけにフォーカスするのではなく、もっと広い視野で柔軟に考えられるようになり、見えなくなっている他のことに気づくことができるようになります。
そうすれば、きっと自分の考えが事実とかけ離れているかどうかがわかると思います。

今日も私のnoteを読んでいただきありがとうございました。

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