早いとこAIにとって代わってほしい事
今年はAIが人間の知能を上回ると言われています。そもそも「知能とは何か?」という問題はあるのですが「情報を処理して問題の解を出す」ということに限定していうと、現状でも平均的な人間よりもAIの方が優れているような気がするくらいですが、優秀な人間の知能をも上回るのが今年くらいとされています。そして、優秀な人間を上回るAIを子供から老人までだれでも簡単に使えるようになるのは今後5年以内かなぁ、とぼくはイメージしています。
そうなったらどうなるのか、いろんな方がいろんな事を考えていますので、ここではちょっとアプローチを変えて考えてみました。
たとえば、機械が人間よりも速く走れるようになったのはずいぶ昔の事です。100メートル走の世界記録は10秒をちょっと切るくらいですが、バイクなら5秒代は楽勝です。マラソンなんかだともっと機械の優位性は明確になります。早く走るということが目的ならどう頑張っても人間は機械にかないません。それなのにオリンピックなんてものがいまだに行われていて、人間に限定した世界新記録に一喜一憂しているのはどうしてなのでしょうか?
人間よりもずっと速く走れる機械が存在しているのに、オリンピックで盛り上がるのは、そこで競われているのは記録ではなく、人間の限界に挑戦する姿や努力、感動的なストーリーだからです。ドーピングが忌避されるのも同じ文脈です。
そうするとAIが人間の能力を超えたとしても、それによってどのくらいの成果をあげられたかというよりも、その人がどれだけ努力し、困難を乗り越えて目標を達成したかにフォーカスして感動をする事になります。だれがどう考えてもAIの方が優れているのに、一生懸命頑張って世界中の都市の名前を覚えるような、あるいは歴史の年号をめちゃくちゃくわしく暗記しているような、スーパークイズ王のようなイメージでしょうか?
AIによって社会は激変するというのは本当だと思いますが、人間自体はちょっとしか変わらないんじゃないかと思っています。どんなに効率的で合理的でもバイクで走るよりも生身の人間が走らないと感動できない性質が簡単に変わるとは思えません。これがスポーツなんかで済んでいる場合は良いのですが、問題は戦争です。
ぼくは戦争こそAI同士でやればいいと思っています。戦争をやりたいなら自立型の兵器同士でやればいいんです。その兵器には殺傷能力を持たせずに、弱点ポイント的なものをボディのどこかに設定して、そこを叩かれたらバラバラになるようにして、その自立型兵器(こうれはもう兵器とは呼べないですけど)が無くなった方の負け、にすればいいと思います。そうすれば人的被害はゼロで済みます。
しかし、いまだに人間同士が競い合う事に固執している様子を見ると、ひょっとして人間は人間同士で殺し合わないと納得しないのではないか?という非常に嫌な予感がします。