致死量の。

金属バットの漫才で、こんなワードが出てきて漫才のネタよりも
そのワードが個人的に好きなんです。
一言一句覚えているわけじゃないんですけど、ニュアンスとしては…
 
「あかん、もう致死量の関西弁や」
 
致死量の関西弁てwww
 
って感じで今でも思い出すとニヤリとしてしまいます。
 
閑話休題
 
男女で、世間話の印象…というか、人間の会話に対する考え方が
違うという説をちらほら聞いたことがあります。
男は話に対してオチを求めるというか、起承転結まではっきりしている。
女は、話を聞いて欲しいことがメインでありオチまで持っていることは
主題ではない。
そんな説。
 
何事も起承転結は大切だと思っているので、わたしも自分の話を
聞いて欲しいだけの話は…多分していないです、いない筈です。
 
何か言いたいことがオチとして用意していて、そこをゴール
として話をする。

閑話休題 

職場内で、雑談…まぁ、雑談はいいと思うんですけど
その雑談が、オチが無いしそれ以前に雑談というか会話の必須だと
わたしは思っている「会話のキャッチボール」になっていないことが
その雑談に混ざってすらいないわたしにとって苦痛以外の
何物でもありません。

わたし、終始ツッコミいれていますけど、頻度がね…えぐいもんで
聞きたくて聞いているわけじゃないのに疲労感が半端ない。

オチ? もちろんそんなものはありません。
だからツッコミの定番「オチわい!!!」
が、わたしの脳内でキャッチボールしています。

それはもう、致死量の…ツッコミ…?
致死量の雑談ってことでいいか。

ちなみに。

ディラックの海でおなじみのポール・ディラックは
こんな言葉を残しています。
 
「私は学校で文章の終わりを考えずに文章を書き始めては
 いけませんと教わりました」

誰か言ってやれよ。
「オチの無い話をしてはいけません」って。

いいなと思ったら応援しよう!