都合のいいリアル 5月23日(木)朝日記
この記事を読んで、「リアルが持つ暴力性」について考えさせられた。
人はリアルを曝け出す、もしくは相手のリアルを剥き出しにすることに惹かれてしまう。
でも人には、これ以上踏み込まれるとダメージを喰らってしまうという、セーフティーゾーンがあるはずだ。
ここのえぐり具合が年々強まっている気がする。
自分でえぐる人もいるし、よくドッキリにかけられる芸人さんのように、セーフティーゾーンを相手に売り渡して「どうぞお好きに入ってきてください」というスタンスの人もいる。
いまや、特に芸能人は、自分のセーフティーゾーンを商品にしていると言っても過言ではないのではないだろうか。
ここに、自傷行為も含めた暴力性を感じる。
無茶を見せたり、病んでる自分をそのまま見せるYouTuberなんかもそうだと思う。
もちろん、あくまで商品なので、本音を言っているようで実は演出されている。
まるでファンはその人の純粋な部分を見ているようで、心惹かれる。
ここで、実はその人が不倫をしていた、なんていう演出されていない本当の生身が剥き出しになった瞬間、ファンの頭の中に出来上がっていたリアルとの乖離が起こって、裏切られたような気分になる。
リアルを求めていたはずなのに、本当のリアルを目の前にすると耐えられなくなる。
つまり、みんな都合のいいリアルが好きなのであって、純粋なリアルなんて知りたくないのではないか。
にも関わらず、人の本音を聞きたがるリアル志向が流行ってしまっているところに歪みを感じる。
その流れで、そもそも嘘でいいからリアリティのあるフェイクドキュメンタリーを見たい!という欲望が無意識のうちに根付いたのではないかと思う。
私も今度全部ウソの日記とか書いてみようかな。
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