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16年前の夢日記

えもりんの備忘録2020年6月3日
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すっかり不定期&更新時間もバラバラに…
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PCの整理をしてると、懐かしいテキストファイルが出てきました。

時々起きた後、鮮明にを覚えている事ってありますよね?
そういう時、何かしらの啓示かもと思い、夢日記のメモを取ってたりします。そのメモが出てきました。

以下、そのテキストファイル。

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2004年4月10日昼寝中の夢

自分はもう取り壊し予定の部屋に住んでいる。既に新しい部屋(かつて違う日の夢で見ている)を契約しているのだが、問題無いというので頼み込んでそのかつて住んでいた部屋にいた。
仮住まいの所為か、荷物は少なく整頓されている。
部屋はかつて住んでいた小杉荘に似ていた。

取り壊し予定の所為かドアに鍵がなかった。

二階から他の住人が降りてくる。●●さん(昔勤めていたゲーム会社の広報)でした。そして××さん(同じ会社のシナリオライター)が部屋に来て、相談が有ると言う。

二階に登る。

実際の小杉荘の二階ぽい空間だが、個々の部屋は広い。途中の廊下にも段が複数あり、一階と二階は作りが違うイメージ。空室が目立つ中一番奥の部屋に到着する。

相談というのは、
「部屋の壁側にある3畳のスペースをどう使うのが良いか?」
ということだった。

鉢に入った植物が数点置いてあったので、自分はビニールシートを買ってきて床に敷き、DIYで棚をそろえて簡易温室にしてはどうか?と提案。

ふと気付くとちゃぶ台にご飯が置いてある。それを見て驚いた。米粒が大きくて、ねちゃねちゃな炊き方なのだ。部屋の隅を見ると、とよのか米専用炊飯ジャーの文字が書いてある空き箱がある。

「地元(九州)ではみんなコレですよ。」
と××さん。

「お陰で東京のお米は小さくてパサパサしていて、マズイですね。」
と言う。

以上

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2004年4月だとまだエフアンドシーにいた頃。
普段一緒に働いてる人の夢はほとんど見ないのですが、この時は珍しく出てきたのでメモを取っていたのでしょう。

文章を読んでも、自分が抱いているリアル感は伝わらないと思いますが、あの時見た現実と微妙に違う間取り、会話の違和感、そしてその場所に自分が確かにいた感覚は今でも思い出せます。
不思議ですよね、内容は支離滅裂で夢っぽいのに、リアル感だけは残っているという。

そもそも「とよのか米」って存在するのか?
とよのかっていうといちごを思い出しますが…
その語呂と口当たりの良さに、てっきり存在するものだと今の今まで思っていましたが、存在しないようです。先ほど調べました。

ところで、このかつて住んでいた小杉荘というのは自分が大学2年から約8年住んでいた四畳半のアパートの事です。風呂無し。トイレ共同。家賃19,000円。
目黒の柿の木坂という超高級住宅地の中に、ポツーンとあった昔ながらの格安アパートでした。ここを紹介してくれた漫研の先輩は、二階への階段が「めぞん一刻」の一刻館に似てると言ってました。
ここの夢は今でも時々見ます。

一階に6部屋。二階に6部屋+三畳間。
入居当時は全室ほとんど満室で、学生やら社会人が住んでましたが、銭湯まで歩いて10分かかるし、安い以外は特に利便性が良い訳でもなかったので、どんどん人がいなくなり、空き室になったところに、当時自分が同人活動で知り合った友達が続々と入居してきて、ちょっとした「ときわ荘」状態になっていました。

日がな一日漫画を描いて、漫画の評論をしたり、創作談義をしたり。
いつかデビューしていっぱしの漫画家になろうと、夜遅くまで語り合ったものでした。お金は無いけど、夢はあった。そんな20代。

そんな小杉荘も今は無く、場所にふさわしい綺麗なマンションになっています。ちなみにこの夢を見た時は、自分は所沢の2DKに引越しており、お風呂もトイレもあって、しかも二部屋。一人暮らしなのに作業部屋と寝室を分けるという、四畳半時代の時に夢見た生活をしてました。

青春という言葉で片付けるのはあまりにもチープだけど、今でも小杉荘の夢を見るの何故だろうと時々思います。あの四畳半に夢があふれてたんだろうか?

今考えると20代の働き盛りの男共が部屋に閉じこもって、全く出てこないんだから、大家さん的には迷惑だったんじゃないかと思います。
優しい大家さんは、家賃を払いに行く度に(珍しく手渡しでの支払いだった)、「人がいるから防犯的に安心だわ」って言ってくれてましたが…

なんか申し訳ない気持ちでいっぱいになります。


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