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センスとは「生き方の哲学」である

私は今、服のデザインを仕事にしています。一般的にファッションデザイナーというと専門学校を卒業したセンスのある人がやる仕事のような印象がありますが、私の場合はそうではありません。一般大学を卒業してアパレル企業に入ってからデザイナーになったという珍しいキャリアの持ち主です。私自身は入社後にまわりの人を観察したりファッションに関するいろいろな知識を得たりしながら自分なりの努力でセンスを磨いてきました。

そんな自分自身の経験から、「センスがいい」という言葉の使い方に、時折違和感を覚えることがあるのです。今日は、私が長年考えてきた、「センスがいいとはなにか?」について話をしてみたいと思います。

そもそも、「センス」とは一体なんでしょうか?何気なく使われる言葉ですが、実はその中身は曖昧で、抽象的な言葉ですね。人によって解釈も色々と異なります。もともとは英語の「Sense」に由来しており、直訳すると「感覚」や「五感」という意味です。「美的感覚」や「感性」というほうが、よりしっくり来るかもしれません。

一般的に「センスがいい」というと、知的であったり考え方が柔軟だったりする人を指すことが多いです。しかしファッションの分野で使われるときだけは、「元々生まれ持った外見的な着こなしの上手さ」を語るときに使われるように思います。これが、私の抱いていた違和感です。ファッション分野とそれ以外で、少しニュアンスが異なるように感じるのはなぜだろうか、ということです。

私は、ファッションもそれ以外の分野も根本的には「センス」の概念は同じだと思っています。どういうことでしょうか。下図をご覧ください。

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センスは3つの階層でできている、というのが私のイメージです。例えばファッションでいえば、一番下の層には、「どんな自分でありたいか」という理念・哲学があります。次に、真ん中の層には、理念・哲学に基づいて形作られた考え方があります。ファッションで言えば、「自分がどんな格好をしたいか、自分をどんな風に見せたいか」という考え方の部分です。そして一番上位に来るのが、「どんな服を着ればいいか」という方法論です。
私の思う「センスがいい人」というのは、土台となる「理念・哲学」、真ん中で支えとなる「考え方」、一番上位の「方法論」が一貫して結びついており、軸がぶれない人です。「僕はこういう自分でありたい。だからこういう風に自分を見せたい。そのためにはこういう素材・色・シルエットの服を着よう。」という意思が明確な人が、「センスのいい人」だと思うのです。

センスはいろいろな分野で使われる

センスという言葉はいろいろな分野で使われています。パッと思い浮かぶだけでも「ビジネスセンス」「スポーツセンス」「恋愛センス」「言葉のセンス」など、センスの良し悪しによってポジティブにもネガティブにも表現されます。

センスは数値化して表現することが出来ません。知能指数を表すIQなどのような明確に数値で定義づけるものは存在しません。では、センスの良し悪しは何によって決まるのでしょうか?

私は「自分の理念・哲学が他人にどれだけ伝わるか」が基準になると思います。センスの良し悪しは、当然、自分が独りよがりで決めるものではなく、他人が評価するものです。周りの人がその人の発言、振る舞いなどを見て、「明確な意思」や「その人が思い描く理想の自分」を感じ取ったとき、「センスがいい」と認識してくれるのではないでしょうか。

センスとは頭を使って考え学んでいくこと

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一般的に「センスがいい」人には、クレバーなイメージがあります。

例えば、スポーツの分野で考えてみましょう。
先日引退した「イチロー」。彼を評して「天才」とも「野球センスの塊」とも呼びます。先日行われた引退会見でも『アメリカの野球は頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるように感じている』と発言しています。いかに「イチロー」が頭を使って野球をすることにこだわりやプライドを持っていたかを改めて認識させられた瞬間でした。

また彼が日々のルーティーンにこだわり努力家であることも有名な話です。毎日カレーを食べるエピソードはよく知られていますが、それ以外にも、スパイクやグローブは長年同じスペックのものを使うなど、「野球以外でのストレス」を極限まで減らすことを徹底的に考え、工夫しています。「イチロー」の例からもわかるように、センスとは生まれもったものではなく努力して学んでいくことで後天的に身につくものであると思います。

「野球センス」があるという表現についても、パワーあふれるホームランバッターの四番というより一番か二番タイプの俊敏で相手のスキをつくような頭を使ったプレーをするような選手を指すのがしっくりくるような感じがしています。もちろん、大リーグエンゼルスの「大谷翔平」選手のようにピッチャーとバッターで超一流になりえるような「天性の運動センス」の持ち主もいるのですが。しかし、大谷選手のインタビューの発言などを聞いても、天性のものだけでなく非常にクレバー受け答えをしていることからも頭の良さや野球に対する探究心を感じます。

ビジネス社会においてもこのことはあてはまります。「ビジネスセンス」がある人とは会社内やクライアントなどとの人間関係において適切な距離感やタイミングを計ることができ、自分自身を客観視して分析することができる人のように思います。常に新しい事を学び、頭を使って柔軟に考えられる能力があるからこそプレゼン能力や問題対処能力にも長けていて、常に成長し大きなチャンスをつかみ取ることができるのだと思います。

今まで挙げたようにスポーツやビジネスの分野での「センスがいい」とは、自分の頭でしっかり考えて最適な答えを出せる人のことを指すのに対して、ファッションの分野においては、似合う服の選び方や着こなしなどの表面的なテクニック論に終始してしまっているイメージがあります。私は、それは違うのではないかと感じています。ファッションにおける「センス」も先天的なものだけではなく考え方や知識を学ぶことで後天的に得られるものではないかと思うのです。

ファッションにおける「センス」とは

ファッションにおいても「センス」についての悩みは多く聞かれます。マーケティングリサーチ会社の男性ファッションにおけるユーザーアンケートでも自分に似合うものや服の選び方、ファッションセンスの磨き方などについての多くの人が悩みを抱えているという結果が出ています。

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  図:アスマーク社 男性のファッションに関するアンケート調査

これを見ると、「自分に合うものがわからない」や「服の選び方がわからない」「ファッションセンスの磨き方がわからない」などの悩みが多いことがわかります。個人的な考えなのですが、ファッションセンスとは着こなしだけでなく自分に似合う服を選ぶことができることも含めてのことなので、やはり「センス」について悩んでいる人が多いのではないかと感じています。

またファッションにおける着こなしについての表現として「お洒落」という言葉も多く使われます。私は「お洒落」であることと「ファッションセンスがいい」ということは近いようで微妙に違うと思っています。

例えば初対面の人に会った時に外見の印象で「お洒落な人」という判断をすることがあると思います。「お洒落」とは、そのときの流行や自分らしい着こなしなどを意識して外側に向かって主張していくもののような気がします。例えばブランドだったり、トレンドの色やシルエットだったり時代の空気感をうまく取り入れて自分なりに表現すること。

それに対して、「ファッションセンスがいい」というのは、もっと内面的なこだわりの要素が強いように思います。流行やブランドよりも、パーソナルな生き方からにじみ出てくるような部分が着こなしにあらわれてくるものではないかと感じています。

実際、初対面の人に対して「お洒落な人だな」と感じることはあっても、「センスがいいな」と感じる場面は、そう多くはないですよね。何度かその人に会い、着こなし方や振る舞いに良い印象を持って初めて「ファッションセンスがいい」と感じるのではないのでしょうか。

ファッションセンスに大切なのは考え方や哲学

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「ファッションセンス」をよくする上で大切なのは、まず着こなしよりも考え方だと思っています。「自分がどうありたいのか」「人にどう見られたいのか」など、自分の意思をしっかりと明確することによって選ぶ服の方向性が決まってきます。例えばですが、下記のような考え方と選ぶ服の関係性です。

    考え方           選ぶ服の方向性

・常に自然体でありたい ⇒ 体を締めつけないナチュラルな服

・クールでストイックでいたい ⇒ モノトーンでシンプルなデザインの服

・異性をいつも意識していたい ⇒ フィット感があり色気を感じさせる服

あくまで一例ではありますが、自分自身の考え方や人からどう思われたいかの意思が明確になれば選ぶ服の輪郭がみえてくることになります。後は考え方に沿い選択の幅をしぼって実際に服を選び着こなしていけばよいのです。

服を実際に選ぶ際には、素材やカラー、シルエットが重要になります。考え方が明確でなければ選ぶ基準がなく何が自分に合うのかもわからない状態になってしまいます。ですが、なりたい自分がはっきりしていれば、正しい知識を身につけていくことで、自分に合った素材やカラー、シルエットの服を選べるようになります。

選び方の一つの具体例としては下記のようになります。

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以上のような考え方で選択していくと自分のイメージに近いものを選べることになります。

考え方や生き方の哲学がしっかりあればセンスよくみえる具体例として「サーフィンなどの海を愛する人」や「アウトドアなどの山を愛する人」などのファッションがあげられます。彼らにはしっかりとした自分自身の生き方の哲学があります。

自分たちのライフスタイルにあった服をチョイスしているからこそ「Tシャツ×デニム」や「アウトドアパーカー×デニム」などの生活者にとって実用的で何でもないスタイルが「かっこよく」「センスよく」みえてしまうのです。

アルマーニやラルフローレンの哲学とは

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有名なファッションデザイナーにも考え方に哲学をもつ人が少なくありません。代表的なのは「ジョルジョ・アルマーニ」と「ラルフ・ローレン」です。ブランドのデザイナーであり創始者である彼らには、自分の着る服にもしっかりとした哲学があります。

アルマーニは普段、ネイビーのTシャツばかり着ています。あるインタビューでそのことを聞かれ彼はこう答えています。「私がネイビーのTシャツを着るのは無駄をそぎ落とした清潔感があり、外見に制限されることなく自分自身を表現できるから。合理的で目立つことを望まない私の個性にも合致した、私にとって永遠のアイテムなのです。」彼の考え方が着こなしとして表われています。

ラルフローレンもいつもシンプルなスタイルです。ブラックやネイビー、グレーなどのジャケットやシャツを着ています。彼もインタビューでこう答えています。「自分のスタイルとは、自分らしさを持つということであり、そして自分の信じるものを持つことにほかなりません。それはつまり自信というものです。そのような自信を持ったとき、自分の好きなものを自由に着ることができます。そして、自分が何者であるか、自分がどう感じるかについて、自分らしい何かを反映させることができます。」彼にも服を着る以前に哲学があるのです。

アルマーニ、ラルフローレンの着こなしに共通する点があります。それは「品の良さ」です。シンプルな着こなしにもかかわらず「センスのよさ」を感じる。まさに彼らは、ファッションセンスとは生き方や哲学あることを実証している存在なのです。

意思の明確さがファッションセンスを向上させる

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実社会においてもわたしが知るかぎり、ビジネスマンとして一流の人には服を着ることにも自分なりの明確な考え方があります。「相手に失礼にならない清潔感」であったり「主張すぎないさりげなさ」など、自分のコンセプトがはっきりしているからこそ、「品の良さ」がにじみ出てくるのではないかと感じています。

自分がどうなりたいか、どう生きたいかが明確になれば考え方にも一本の芯ができ、選ぶ服にも迷うことがなくなります。スタイルがしっかり確立されれば内面からにじみでるものが人に伝わり、結果的に「センスがいい」と認識されることになるのです。

今の時代は情報があふれていて、何が正しくて何が正しくないのか取捨選択するのが難しくなっています。常に自分らしさとは何かを考え、意識することにより「ブレない自分のスタイル」をつくりだすことができるのだと思っています。大げさに言えば、センスとは生き方そのものです。情報や流行に踊らされず、自分の生き方を貫く人は、いつの時代も素敵に映るものです。

イベントの動画です。

2月12日にセンスについてのトークイベントを行いました。イベントの動画が販売されています。もしイベントの内容にご興味のある方、よろしければ購入してみて下さい。どうぞよろしくお願い致します。




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