2024/8/16

今日はなぜか全く眠れず、一睡もしないまま朝を迎えた。とはいえ状態はそれほど悪いわけではない。胸の錘は昨日よりも軽くなっていて、むしろ元気に活動したいという欲求がある。徹夜したので無理は禁物だが、体の求めるままに今日も自転車でどこかへ行こうかと思う。無論これはただの不眠であり、鬱の一症状に過ぎないと思われるので、現時点で躁転や寛解と考えるのは誤りである。とりあえず食事を摂り、酷暑に気をつけながら外出やその他趣味(と言っても音楽とギターぐらいだが……)に興じようと試みること。朝の段階で言えるのはこれだけである。

闘病生活が一体どれくらい続くのだろうとふと考えた。ネットを見ているともう十年以上働けずに治療を続けているという投稿もあるし、人によって様々だ。度々言及してきたサカナクションの山口一郎ももう二年以上ずっと調子が安定せず寛解にはほど遠い状態のようだし、双極性障害となればもう一生付き合っていくしかない。もう治ったかなと思って復職したらまたすぐに症状が出て闘病生活に逆戻りというパターンも数知れない。現時点での私の症状はたまに全く何もできず激しい抑鬱状態になる日もあるが、それ以外は意外と食事や外出もしようと思えばできるという曖昧な状態である。ただほとんどの時間で胸に錘があり、これが重くなるともうベッドに倒れ込んでしまうしかない。そしてそれが酷くなると頭が重く熱くなってきて強い希死念慮が出てくる。鬱は脳の炎症と言われるが、まさしく炎症を起こしているような感覚。さらに、今回の鬱はなんとなく、ウイルスによって体を蝕まれているという感触がある。何らかのウイルスが悪さをして胸の奥に抑鬱状態を作り出しているような。毎日服薬は続けているが、果たしてどう転ぶか。

早速調子が悪くなってきたが、TOOLを聴いた。今年今さらのように聴き始め、最近ハマっている。オルタナティブメタルやポストメタル、プログレッシブメタルの枠で語られることが多いが、はっきり言ってこんな特異なバンドは他に存在しない(強いていえば同時代のポストメタルバンドNeurosisと似た部分がなくもない)。MesshuggahがDjentの始祖とされながらDjentとは全く異質な音楽性を持っているように、全くオリジナルで唯一無二のバンドだろう。こんな野心的で難解な作品が何百万枚も売れるのだからアメリカというのは凄まじい国だ。自分のバンドはTOOLとは全く異なるが(共通項といえばハードコアからの影響ぐらいだろうか)、いつか私の作曲スキルが熟達してきたらこういう音楽性に移行してみたいとも思う。

さらにNeurosisも久しぶりに腰を据えて聴いてみた。ポストメタル移行以後の作品はこれまでたまに聴いていたが、初期のクラスト/ハードコア期の作品(1st, 2nd)は実は聴いたことがなかった。一聴してこれは大変な傑作だと思った。たしかにクラスト/ハードコアの粗さがありながら、のちのポストメタル期を予見させるプログレッシブな要素も見え隠れしていてとても面白い。80年代後半から90年代にかけてのメタルやハードコアは実験性の宝庫であったのだと思わされる。しかし、今度出すアルバムのセルフライナー的文章にも書いたが、90年代以降我々は本質的に「新しい」ものを生み出すことはできない。たしかに新しく見えるものはいくらでも出てきたし、今もそのように喧伝されるものも多い。しかし根源的に見ればどの芸術ジャンル、あるいは思想、言説、さらには政治、どれを取っても我々にできるのは結局90年代に生み出された意匠の「持続と転形」であり、順列組み合わせのごときものに過ぎない。我々はTOOLやNeurosisより「新しい」音楽は作れないし、庵野秀明自身も言ったように「エヴァンゲリオン」より「新しい」アニメは生まれないのである。なぜそうなのかは来月13日リリース予定のアルバムのセルフライナーに書いてあるので、ぜひとも購入して読んでほしい。

さて、こう記している間に抑鬱は強くなり、二篇の詩ができあがった。もう眠ってしまいたいところだが、果たして今夜は無事寝られるだろうか。

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