忖度・同調圧力にとらわれてしまうわけを知る『空気の研究』を解説します①空気の定義
『空気の研究』は1983年に発表されました。著者の山本七平はクリスチャンの両親のもとに生まれた聖学者であり、日本文化、日本社会また日本人の行動様式を「空気」「実体語/空体語」といった概念をもって分析しました。これを「山本学」ともいい、社会学の先駆者ともいわれています。書評家の谷沢栄一はこの本について「日本人のものの考え方、意思決定の仕方にエポックをみつけるならこれが書かれたときだ」と「空気」の発見が山本七平だと述べています。ではわたしたちが読んで、推し測って、囚われている「空気」の総論から見ていきたいと思います。
1.空気の定義
「空気」はいつから出てきたのでしょうか。昭和50年に戦時中の「戦艦大和の出撃」について当時の軍司令部・小沢中将はこう述べています。
「全般の空気よりして(戦艦)大和の特攻出撃は自然だった」と。
当時、戦艦を特攻させることへの是非が何度も議論されていたことが記録に残っています。議論する人たちは専門家なので細かいデータや明確な論拠で特攻は無謀である、としていました。ところが最後には「空気」で決まったということがここからわかります。
そして、その結論を受けた軍の司令長官は反論も究明もやめて
「何をかいわんや」(じゃあ何も言えないよね)と答えています。
そして、どちらも戦後になって「あのときはああせざるを得なかった」
議論が最後は「空気」で決まったことがわかるひとつの例です。
これは戦争における判断の例ですが、わたしたちは「してはいけない」と思っていても、「その場の空気で」”する/しろ”ということに現在でも事欠きません。
わたしたちは「空気」に自らの意思決定を拘束されていませんか。
議論の結果や理論ではなく、その場の「空気」が採否を決める、つまり最終決定者は人間ではなく「空気」になっていることが事の大小問わずたくさんあるのではないでしょうか。こういった「空気」について山本七平はこのように定義づけました。
〇「~せざるを得なかった」といい自らの意思ではない(ことをアピール)
〇空気の責任はだれも追及できない。つまり、空気がどのような論理的過程をへてその結論にたどり着いたのか探究できない。
〇空気には圧力がある。(空気に反対している者はあとからみると滑稽なほど一心不乱に反論している)
〇日本人には「抗空気罪」ともいうべきものがあり、空気に抵抗すると一番軽くて「村八分」の刑に処せられる。(これは該当者の職業・地位に無関係)
この4つの定義をまとめると
空気とは非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ「判断の基準」であり、その抵抗者は異端として社会的に葬るほどの力を持っている。
ということになります。
2.「空気」の支配
空気はどのように発生し、人々を支配するのでしょうか。
近代日本が行った最初の近代的戦争、「西南戦争」から考えることができます。
西南戦争は、1877年西郷隆盛を盟主にして起こりました。当時、西郷隆盛は明治政府の立役者であり、全国民からの信望を担っていました。そのためこの戦争は明治政府にとっては世間の動向が重要だった最初の戦争でした。
マスコミが本格的に活動し、政府によるマスコミ利用も始まったのはこの戦争からです。というのも、明治期以前は庶民にとって戦は武士のやることだから関係ないものなのでした。けれど官軍は農民徴募の兵士を使うため、国民に戦争の心理参加をさせる必要があったのです。では、どのように「空気」を作ったのか具体的に見ていきましょう。
①絶対悪を作る
官軍=正義・仁愛の軍
賊軍=不義・残虐の軍
としなければなりません。そのた新聞などで「残虐人間集団・賊軍」という記事を出しました。これは又聞きなんだけど、とか目撃者は不明だが…といった形で、賊軍がいかに捕虜を非情な目に合わせるか、といったことや、こんな酷いことをしています、などの記事です。その後の戦争でたびたび記事にされがちな100人切り競争や殺人ゲームなどの記事の嚆矢というべき記事が連日掲載されました。もちろん合わせて官軍を持ち上げる記事も忘れてはいけません。
これによって西郷軍は神格化された悪そのものになりました。そのため、官軍との間をとりもとうとした者、西郷に同情的であったもの、最初にあった「西郷と大久保をどちらも法廷に呼び出そう」といった意見が封殺されました。
「空気」の発生です。
②「対立概念で対象を把握する」ことを排除。
官軍と西郷軍、ともにお互い「善も悪もある」その基準の違いを論理だてて考える、と考えると「空気」は作れません。
「官はすべて善。西郷軍はすべて悪。」
とにかくすべてを善か悪か、お互いを分断させることが徹底されました。そうすることで身動きがとれなくなり、さらにマスコミを使ってこの規定を拡大することで全国民を「空気」で拘束し身動きがとれなくしてしまうのでした。
こうして、「空気」の支配は完成しました。この出来上がった「空気」を当時の人々は意識することはありませんでした。
明治時代に先進的考え方を持った人々は「空気」といったことはアニミズム的考え方である、としこういったものを「先進的な考え方」から排除しました。結果「空気」はないものとされました。しかし、「ないこと」にしても「ある」のだから空気的なものを冷笑し、考えないことで歯止めがかからなくなりました。
わたしたちは「空気」の支配から逃れることができるのでしょうか