「空気」と「水」の再研究~日本人性とは何か『(日本人)』を読む④
「日本人の特殊性」はアジアではありふれたものでした。→①はこちら
また、人間の進化と農耕社会の本性から、すべての農耕社会は同じように「分」をわきまえ、「ムラ社会」で「妥協の産物」になるのだと作者は言いました→②はこちら
日本人と西洋人は明らかに違う考え方をしますが、それは生まれついてのものではないということもわかりました。→③はこちら
山本七平『空気の研究』(『空気の研究』解説記事はこちら)で「水とは空気を崩壊させる作用を持つ一種の「消化酵素」のようなもの」だと言いました。「空気」が出来上がった時「水」を差すことでその空気がしぼみ、我に返ることを言いますが、山本七平はこれを明確に示すことができませんでした。そこで作者の橘玲は、「水」について日本人が持つ価値観からのアプローチをしました。
1、日本人のもつ価値観
アメリカの政治学者、ロナルド・イングルハートは世界各地での大規模アンケート調査によってそれぞれの国民の価値観の違いについて価値観マップを作り比較検討しました。その国の社会の価値観が「伝統的(封建的な宗教世界的考え方)」か「世俗的(合理性・理性的考え方を重視)」また「大衆的(産業社会を大切にする考え方)」か「自己表現的(自分の自己実現を大切にする考え方)」かをまとめたもので、これは「国民性」「民族性」について極めて多くの示唆を与えてくれるものでした。
国の所得と、価値観には明白な関係があります。高所得圏の国は「世俗的」で「自己表現的」です。所得が低ければ生きていくことに精一杯なので、伝統的な価値観に縛られます。
インクルハートの価値観マップで日本は「世俗的価値」が極めて高く、「自己表現価値」は上位から三分の一程度という結果になりました。他の東アジアの国は日本より世俗価値は低くなりますが、同じ儒教圏として一つにカテゴリー分けができるほど近しい価値観を持っています。この価値観マップは文化圏ごとに同じような位置をしめたことが特徴で、例えばヨーロッパ・プロテスタント圏の国々はだいたい「世俗的」できわめて「自己表現」価値観を持ち、イギリス・アメリカ・オーストラリアなどの英語圏は「世俗的と伝統的の中間」で「自己実現価値観は高い」などはっきり分かれています。
わたしたちは日本を「ムラ社会」と思っていますが、この調査によると、アフリカや南アジア、ラテンアメリカなどの国々はもちろんヨーロッパ諸国などと比べても、日本人は伝統的な価値観をまったく重視しておらず、「ムラ社会性」が高いわけでもありません。日本人は極端に「世俗的」で「整合的」なのでした。
上記の価値調査と同時に「人生の目標」についての調査もインクルハートは行いました。そこで日本人は突出して家族や友人たちの期待に反しても自分の人生の目標は自分で決めて、自分らしくありたい、と強く考えていることがわかりました。同じアジアの中国人や韓国人も「世俗的」で「自己表現的」であるにも関わらず、家族や友人に誇りに思ってもらいたい、と考えています。彼らは家族や世間を強く意識しているのです。「自己表現的」なイメージの強いアメリカ人も世間は気にしていなくとも、家族からは自分のことに誇りに思ってもらいたい、と思っている結果になりました、世界でもっとも「個人主義的」な生き方をしているのは私たち日本人なのでした。
2、日本人の損得勘定
この日本人の本性はいつから始まったのでしょう。戦後になって急に「日本人の誇り」を失いエゴイストになった、戦前と戦後には決定的な断絶があったと『ものぐさ精神分析』で岸田秀はいいましたが、明治から太平洋戦争にかけての歴史を見れば「日本人は平和を愛する優しい国民」とは明らかにいえません。「世俗的」は言い換えると「損得勘定」のことです。「得なことはやるが損することはやらない」。これが日本人の本性なのではないかと作者は考えました。日本が貧しく長子相続だった時代は、農家の次男三男は軍隊なに行くか移民に行くかが生きていくのに一番の最適解でした。(娘は女工になるか女給になるか女中になるか、からだを売るかしかありませんでした)その時代の日本人にとっては、アジアを次々に植民地化し、生計を立てる選択肢が増えるのは「良いこと」「得なこと」だったので、熱狂的にアジア進出を支持したのです。けれど、その結果は悲惨なもので、戦時中の死者は300万人をこえ(しかも、その多くは飢餓によるもの)原爆は落とされ、多くの都市が焼け野原になりました。それを見た日本人は「戦争は損なことだ」と学び、極め付きの平和的な民族になったのです。日本人の人格は明治と江戸時代や、戦前と戦後で分裂したのではなく、極めて「世俗的」な「損得勘定」によるもののみだったのでした。
3.日本人と仏教の伝来
さまざまな言語を操る仏教学者の中村元は、中国、韓国、チベット、日本の文献を研究し、文化の受容からそれぞれの国民認識構造の違いを調べました。中村元によると、インドで興った仏教は、中国で漢訳される際に変容し、その後日本に伝来したときにもう一度変容しています。それは、もともとその国のひとたちが持っていた認識構造にあった思想しか受容されなかったからです。では、日本に仏教が伝来したときにどのように変容したのでしょうか。
最澄や空海などの最初の留学僧たちはそもそも中国語を理解していませんでした。基本的には事前の語学研修もなければ、留学期間もそれほど長くない情況では筆談で意思疎通するのが普通だった、と中村は言いました。このような語学上の制約から、仏教の思想は漢文の翻訳で理解するほかはありませんでした。そして翻訳者の僧侶たちは、漢語を原文のまま訳すのではなく、自分たちの都合のいいように(民衆にわかりやすいように)意訳することが当然になりました。インド仏教の思想はその厳しい自然を背景としていて、この世は穢れた土地で来世を極楽浄土とみなして修行により仏への道を求めるものでした。しかし日本は風光明媚な自然を愛でることができる土地。この厳しさはなじめない考え方でした。そこで、僧侶たちは仏へのステップを飛ばして修行なしでも仏へと至る道を編み出すことになりました。これは当時の日本人がご利益のある神にしか関心を持たず、苦労をせずに成果のでる宗教しか求めていなかったからです。
『万葉集』で大伴家持は
この世にし 楽しくあらば 来む世には 蟲にも鳥にも 我はなりなむ
と詠みました。現世で楽しく過ごせるならば、来世では虫にでも鳥にでもなてしまいましょう!という現世で楽しく生きることが第一のおおらかな歌で、中村は万葉の昔から日本人の本性はこれだと考えました。
4、「空気」と「水」
さて、山本七平は『空気の研究』のなかで、日本には「空気=世間」のほかに「水=世俗」という原理があると書きました。これまで見てきたように日本は極めて世俗性が強い社会です。すると、「水を差す」というのは空気の支配に対して世俗の原理をぶつけることだと考えられます。これまでは「空気の支配」に日本人の特徴を見てきました、しかし本質は世界で突出している世俗性「水」にあるとしたらどうでしょう。つまり日本人は個人主義的で損得勘定で判断をする国民性である日本人だから、「空気の支配」を強くしなければ、共同体として成立しなかったのはないでしょうか。敗戦とともに急に平和主義になったのは自我が分裂したわけではなく、それが自分たちにとって「得」だと思ったからなのだと考えれば、すべてがつながるのです。