無責任社会のこれから~『(日本人)』を読む
前記事「グローバルと無限責任社会」において、日本の自己責任は近代社会としての自己責任ではなく、中世の呪術的な無限責任なのだ、と述べました。近代社会においては、権限と責任は一対一で対応します。
1.組織の責任
ですが、日本では「けがれ」を祓うために責任ばかりが大きすぎて誰も背負うことができない、という無責任社会になりました。組織の末端には小さな責任と小さな権限、大きな権限持つ組織の中枢では大きな責任を担うのが普通です。しかし無責任社会は組織の中にも浸透し、権限と責任は分離し、外部からは一体どこに責任があるのかわからないような組織が多くあります。これは、なにも日本社会特有の病理ではなく、一歩間違えば無限責任を追及される閉鎖的ムラ社会では当然の自己防衛策です。単純に、誰もが責任を取りたくない社会では、全員の総意で誰も責任をとらなくてもいい組織が出来上がるのです。
さて、このような「誰も責任をとらなくてもいいように」運営されてきた組織でも「責任」を免れられない重大なトラブルが起こってしまうと、機能を停止してしまいます。失敗が表面化すれば「無限の」責任を取らなければならないのだから、残る選択肢は隠蔽し、外部に知られないように秘密裏に処理することだけになってしまいます。これを統治なき日本企業だと作者は言います。失敗を外部に見せないように、経営陣は問題を先送りし、問題は見て見ぬふりをしています。問題を提起してしまうと、「ムラの掟」に背いた罪で組織から追放されてしまうからです。
これは日本企業の構造的な問題で、幹部に意識改革を求めたり、社外取締役を増やしてもほとんど効果がありません。根本の問題は日本社会自体が「株主主権」を頑強に拒絶しているからです。
「株主主権」は会社のガバナンスをき機能させるための一種の作り話です。なぜこのような作り話が必要なのかというと、組織における権限と責任を決めるには、「会社の所有者は誰なのか」という基本設計がどうしても必要になるからです。権力構造を組み立てるにはその源泉が必要です。民主主義国家では「国民主権」であり。企業では「株主主権」となります。ところが日本ではこのことがほとんど理解されませんでした。
日本人は「会社は社員や取引先や消費者などみんなのもの」なのだ、と考えたからです。合わせて「株主主権というのは株主による会社の私物化だ」とも考えました。「みんなのためにあるみんなの会社」は「誰も責任をとることがない会社」になりました。
法治のない社会では自己責任をとることができず、連帯責任は「封建制の宿痾」として全否定されました。そうなれば、残るのは呪術的な無限責任(バッシング)です。
2.グローバル化の失敗
日本の戦後政治を現時点から振り返れば、ムラ社会型の無限責任ー無責任体制のもとで、経済成長の敗者に補助金の分配をしつつ、全員一致の合意を得ようと苦心惨憺してきた歴史でした。こうしたばらまき政治は高度経済成長が終わる1970年代なかばには機能しなくなっていましたが、その後も責任と権限が一致する近代的な統治を構築することはできず、なにも決められないまま今に至っています。これはもちろん政治や官僚だけの問題ではなく、イエ社会のローカルルールとして日本の社会の隅々にまで浸透し、日本人を支配しています。グローバル化に失敗したのは政治ではなく、むしろ経済のほうなのでした。
経済学者の野口悠紀雄は「1940年体制論」で日本社会は、第二次世界大戦の敗北によって生まれ変わったのではなく、戦時下の国家総動員体制を戦後も継続し、自由経済のふりをしていたにすぎない、といいました。
「1940年体制」とは、戦争遂行のため経済を国家の統制のもとに置くもので、自由競争を否定し、私的所有権を制限するとともに、基幹システムは国有化するものでした。そのために、終身雇用制や年功序列賃金体制ができあがり、メインバンクを中心とする間接金融制、官僚体制、税制が整いました。これら戦時下の改革により日本では地主階級が壊滅して所得格差の少ない大衆社会へと変化されました。
これらの「成功の法則」はアジアの国々の成長モデルとなると同時に、その後の長い停滞の反面教師にもなりました。明治維新以後、日本はつねにアジアの国々の指標でした。いまやローカルルールが行き詰まり、グローバリズムによって社会が侵食される最前線ともなりました。少子高齢化に伴う様々な苦闘は「老いゆくアジア」の明日の姿でいつのまにか周回遅れの先頭を走るようになってしまいました。