日本人性とは何か『(日本人)』を読む①~空気と武士道とオリエンタリズム~
さまざまな場所で語られる「日本人論」。はたしてそれはほんとうに「日本人」だけの特徴なのか?この本は「日本人だって人間だ」というところに立脚し
日本人ー人間の本性=日本人性
である、と考えました。そんな日本人性の現在地を探ります。
1.空気を読むのは日本人だけなのか
空気によって重大な決断をしてしまう。あのときはそう言えなかった。
『空気の研究』だけでなく、つい最近も福島第一原発事故然り、マスク配布然り…。これは日本固有の問題なのでしょうか。
作者はタイには同じことを示す言葉があると言いました。タイでは「空気を読む」ことを「グレンチャイ」といいます。「グレンチャイ」は相手の望みに合わせて自分の意見は主張せず、目上の人を評価するのをはばかることです。イギリス人の外交官は次のように述べています。
「タイは妥協の社会である。敗者の数はきわめてすくなく、対立に時間を費やすことも稀で、妥協をみつけるためなら恐ろしいほどの時間をかけるのだ」
このような人間関係が濃密で、気配りと面子をなにより優先する社会は日本、タイだけではなく、中国、韓国、東南アジアでは広くみられる文化です。現在「日本人らしさ」で語られる多くはアジアでありふれているのです。
2、武士道こそが日本人らしさなのか
2003年、数学者の藤原正彦が書いた『国家の品格』は大ベストセラーとなりました。この本は偏狭になったナショナリズムを排除し、故郷を愛するバトリオティズム(祖国愛)を説きました。祖国を破壊するのは市場原理主義であるとし、合理性に対して「武士道精神」と「もののあはれ」で対するべきとしました。
1978年、カイロ大学のエドワードサイードは著書『オリエンタリズム』の中で、研究者は皆中立の立場で「オリエント」なるものを研究しているが、よく調べてみると西洋人が望む「オリエントのステロタイプの押し付け」である、と発表しました。要するに西洋人は自らの優位性を証明するために「愚かな東洋人」を必要とした、または「文明に毒された西洋人」の対比としての「未開の東洋人」として消費されるものではなかったか、との主張です。今でいう文化の盗用問題もこれに準ずると考えられています。武士道も同じことでは?と作者はいいます。つまり、わたしたちが知る「武士道」はそこにあるものとは無関係の西洋人が作り出したものではないか。そしてそれまで自分たちを「武士」と思わなかった人々が自らをその枠組みで確認し、語っているのだ、と。
『武士道』という言葉は新渡戸稲造の著書から始まりました。新渡戸稲造以前に「武士道」を記した書籍、辞書は存在していません。新渡戸は札幌農学校(今の北海道大学)で教鞭を取っていましたが、体調を崩してカリフォルニアで病気療養中に英語で執筆したものが『武士道』です。この本は日露戦争で大国ロシアを破った新興国日本の秘密!!という触れ込みでアメリカばかりではなくヨーロッパ各国で大ベストセラーとなりました。
新渡戸は7歳で明治維新を迎え、その後は西洋の教育に身を費やしました。新渡戸自身「当時学問は外国語で学ぶもので、論語も陽明学もだれも学ばなかった」と語っています。新渡戸はアメリカに渡り、アメリカの大学を卒業し、キリスト教徒で、妻もアメリカ人でアメリカに暮らしていました。この本は妻や子に日本人の慣習を尋ねられた新渡戸がそれに答えるために執筆した本なのです。そもそも「武士道」は「騎士道」と比較するために新渡戸が作り出した言葉です。この本の中で日本の皇室はイギリス王室と比較され、水戸光圀はプラトンと、上杉鷹山はフレデリック大帝と比較されました。
また「忠」については語れたけれど「孝」は比較すべきものが見当たらなかったので、割愛されました。
「古きよきもの」が失われていることに心を痛める知識人はいつの時代も多いものです。「欧米ですでに失われた騎士道が日本では武士道として今も残っている」というストーリーはそんな人々の心情に強く訴えるものなのでした。
アメリカで病気療養中の新渡戸は日本の武士について正しい姿を知ることはできなかったし、そもそも正確な情報を伝えることに関心はありませんでした、「オリエンタリズム」で加工された「武士道」は新渡戸にとって、理想的な日本人の創造でした。
3、オリエンタリズムと「日本人論」
『菊と刀』の執筆は作者のルースベネディクトに「欧米人と違うところを探してほしい」という依頼をアメリカ軍が行ったことから始まりました。そのため、「欧米人と同じところ」「似ている考え方」は情報として無視されることになりました。日本を統治するのに必要がなかったからです。これは、サイードのいうオリエンタリズムそのもので、欧米の読者は(また日本を占領したGHQ幹部たちも)ルースベネディクトの分析から西洋と日本人の差異を見つけ出し、それによって自分たちの優位性を確認しました。戦後、高度成長期にはさまざまな「日本人論」が発売されました。そのすべてが「日本人の特殊性」にのみ焦点をあて論じたものでした。それは、高度成長による「日本の奇跡」が注目を集めるようになったからです。
日本人論は「謙虚なのに尊大」で「自然を愛するのに公害にも環境破壊にも無関心」「精神がすべての源泉なのに物質主義という矛盾をはらむようになってしまったのは、「オリエンタリズム」でした。
それまで「これが日本人だ」などと思っていなかったのに、自らを「日本人の特殊性」という枠組みで確認し、語っているのではないでしょうか。
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