日本人性とは何か『(日本人)』を読む②~人間の本性と社会の本性
「日本人の特殊性」はアジアではありふれたものであり、「武士道」はオリエンタリズムでゾーニングされたものだと『(日本人)』は言いました。→①はこちら
1.人の進化と因果律
パブロフの犬のように記憶と因果を結び付ける実験があります。再生能力で有名なプラナリアだって因果を学習し、そのプラナリアが分裂しても、別のプラナリアに食べられてしまっても学習した因果は引き継がれることがわかっています。その理由は、長い生物の進化の過程で因果論を組み込んだ生物が子孫を残すのに有利だからです。わたしたち人間が常に因果で物事を考えるのは、それが正しいからではなく、脳が世界を因果的に解釈するからです。それは、人間だけでなく、生物すべての基本原理です。
問題は脳は因果律で物事を理解するのですが、世界は複雑系ということです。因果論では「善行を積めばよいことが起こる」となりますが、実際はそうとは限らない。物事は現在では複雑系と呼ばれる要素同士が緊密に結びついたスモールワールドの相互フィードバックである、ということがわかってきました。インターネットは典型的なスモールワールドです。
つまり、因果律では確率世界や複雑系世界を理解できず、確率論では複雑系世界は理解できない。そして、複雑系世界では未来を予測することは不可能です。しかし、わたしたちの脳はそのようにできていません。ですから確率的な出来事も複雑系の病気もすべて「〇〇を食べたらがんが治った」「お参りしたら宝くじがあたった」などの「わかりやすい」話が広まります。それは洋の東西を問わず人間の必然です。
2.人間の本性をさぐる社会実験
1954年オクラホマ大学でこのような実験が行われました。(それ以降、この実験は行われていません。なぜならあまりに危険すぎたからということと、結果があまりにも明白だったからです。)
実験の被験者はできるだけ等質になるように意図的に選抜された11歳の白人少年22名でした。彼らはみな、プロテスタントの家庭で育ち、IQも学業成績も平均以上、問題を起こした者や、いじめられるような外見の要素を持つものはいませんでした。全員地元出身で面識はありませんでした。かれらは2グループに分かれてキャンプをしました。当初、調査の内容は最初の1週間で集団内での行動、その後の一週間で集団間競争をさせる予定でした。ところが、キャンプを始めた数日後、自分たちと同年齢の集団が遊んでいる声をたまたま耳にしてしまった瞬間から「あの集団を打ち負かす!」ことだけに夢中になってしまったのです。直接対決をしきりに望み、スポーツで対決したところ、片方のチームは競技場に自分たちの旗をこれみよがしに掲げ、片方はそのチームの旗を燃やしてしまい、乱闘になるのを指導員たちは必死でおさえなければなりませんでした。他の競技でも対戦をしなおしたが、今度は負けたチームが相手のチームのキャビンを襲撃しました。襲撃されたチームは翌日仕返しに行き、さらに襲撃に備えて武器(拾った石など)を配備することになりました。彼らは無意識のうちに自分たちの集団をほかと差別化を図る、ということが実験の結果導き出されました。そのための掟はたくさん出来上がりました。キャンプ中、誰もが自分たちの集団のおきてに従い、その間集団内の結束は高まり、いじめや仲間外れなどの出来事はまったく起こりませんでした。
ここからわかることは、ヒトは社会的な動物で、集団がなくなってしまったら生きていけないのだから、アイデンティティはつまり集団(共同体)の帰属意識のことだということです。「わたし」は「やつら」に対する「わたしたち」のことで、「敵」を生み出すのは人が人であるための定義である、ということでした。
3、「和」と「分」を守る農耕社会
アメリカの進化生物学者、ジャレット・ダイアモンドの研究で「横長の大陸と縦長の大陸では文明の発達にどのようなちがいがあるのか」というものがあります。長年の研究の末、ダイアモンドは
「白人とニューギニア人のあいだに人種的な優劣があるのではなく、歴史や文明は地理的な初期条件の違いから生まれた」
という結論に達しました。農耕は気候の違いを乗り越えることはできなかったのだ、ということです。見ていくと歴史上の主要な文明はすべて「温帯ベルト」で誕生していることがわかります。とくに南北に長い大陸では技術の発展速度は極めて遅くなりました。山脈や熱帯地域があるため農耕や牧畜の技法が伝播しづらかったためです。日本の奈良時代でも地中海文明の影響が認められる文化が伝わっていることを考えれば、東西の伝播速度と南北の伝播速度には大きな違いがあったと考えられます。
さて、狩猟採集社会から農耕社会になったからといって人間の本性での行動原理には根本的にことなるところはありません。ただしかつては獲物と女性(繁殖のため)が執着であったことにプラスして、農耕とともに「土地への執着」が生じました。こうして土地はなわばりとして意識されるようになりました。
「日本には土地神話がある」「土地に執着するのは島国根性」などと言ったりしますが、すべての農耕社会は一万年前から土地神話に呪縛されていますし、囲いを作って土地を守ることは農耕社会の基本原理で「解放的な農村」などは原理的にありえませんでした。
農耕社会にはもう一つ特徴があります。「退出不可能性」です。狩猟採集社会では気に入らなければ家畜と家族を連れて共同体を出ることが可能でした。この有無がひとびとの行動い決定的な影響を与えました。なぜなら農耕社会では不満があっても土地を捨てて出ていくことが基本的にはできないからで、そのために一方が損をしても次にそれを取り返せる、といった「妥協による全員一致社会」にならざるを得ないのです。聖徳太子が言ったとされる「和をもって尊しとなす」は日本人の精神の特徴とされていますが、これも別段日本人のみに特有なわけではありません。
すべての農耕社会は「和」と「妥協」で営まれているのです。
4、農耕文明の特徴
農耕社会に文明が形成されたのは、生産力の飛躍的な増大でした。狩猟採集社会においては、生産に直接従事しないものを囲う余裕はありませんでしたが、農耕社会においては食料獲得に直接従事しない専門職が可能になり分業が成立しました。まずは神との媒介になる神官が専門職として独立し、次いで商工業を専業とするものが現れました。生産の拡大とともに富は偏在するので、広い土地を所有してほかの人(奴隷)に耕作させる権力者が現れ、国を統治するようになりました。農耕社会から生まれた文明には共通の特徴があります。
ひとつは「身分の固定」です。
退出不可能な社会で人々が共生しようとするならば、各自の社会的な役割をあらかじめ固定するのがもっとも合理的でした。このような考え方から身分制が成立し、「分」を守って生きるという道徳が生まれました。(この極端な例がインドのカースト制であることは言うまでもありません)
ひとたび身分が固定されると、個人の社会的な位置は上位・下位の「タテ関係」と同じ身分どうしの「ヨコ関係」で定まることになります。日本の特徴として「タテ社会」が挙げられますが、近代以前はひととひとが平等などとは考えもつかないことで、すべての社会は「タテ構造」でした。身分制の社会はその維持のためにさまざまなタブーや掟を持っていて、それを破ると村八分状態になり、社会的な関係から切り離されます。そういった「ムラ社会」は日本人の特徴としてしばしば批判されますが、あらゆる農耕社会はすべて「ムラ社会」以外のなにものでもありませんでした。
さらに農耕社会には「進歩」という概念もありません。農耕は春に種をまき、秋に収穫するという同じ営みの繰り返しです。中国や日本ではそもそも紀元(西暦やイスラム暦など)はなく、皇帝や天皇がかわるたびに元号が新しくなり、すべてをリセットしていたのです。
狩猟採集社会から始まったすべての人間社会は、「人間の本性」に基づいて作られています。農耕文明はそこに「農耕社会の本性」を接ぎ木したものです。これまで「日本人の特徴」とされていたものはその大半がこのふたつの「本性」で説明できます。当然のことながらすべての農耕社会は似ているものなのです。