年末年始企画:旧ブログから(5/9)
「ロック研究」とは? 5:既存のロック研究 3
2013年7月17日 08:13:34
今回紹介するのは
『さよならホテル・カリフォルニア』(水上はるこ 著/シンコー・ミュージック刊)
です。
これはかなり有名な本なので、今さら紹介するまでもないと思います。またこの本のスタイルはロック研究というよりもロック・ジャーナリズムかもしれません。
それでもあえてここで紹介する理由は、この本の内容がそれまでのロック評論の中にあって際立っているからです。
あくまでこの本との比較で言うのですが、従来のロック評論のスタイルというのは、日本国内からほとんど出ることのない評論家が、外からもたらされるわずかな情報と自身の膨大な想像から文章を綴るものが大多数だったと思います。しかしこの本では筆者自身がロック・ムーブメントのまっただ中に突入し、現場の空気を生々しく伝えるスタイルになっています。
著者の水上氏はかの『ミュージック・ライフ』の3代目編集長として有名ですが、そもそも『ミュージック・ライフ』はロック雑誌というよりロックアイドル誌的な性格が強く、そのためか氏に対して単なるミーハー指向と見る向きもあるかと思います。実際に『ミュージック・ライフ』は1960年代に少女向けのロック雑誌に転向して大成功をおさめ、以後80年代後半まで3代続けて女性編集長であり、誌風であるアイドル誌傾向もほぼ一貫していました。
しかし過去の数々の雑誌や書籍を紐解くと、水上氏が常にロック・ジャーナリストの指向を持ち、ロック・アイドル指向に半ば対峙するように活動してきたことがわかります。
水上氏は60年代にロックファンとしてロックプレスの世界へと進みジャーナリズムを志すも、所属するシンコーミュージックではその才能を生かす場が与えられなかったことから、69年に退社しフリーのジャーナリストとして特に海外の取材で際立った活躍をします。その後シンコーもアートロックの時流に応じ新たな路線の『プラスワン』を創刊すると、73年に水上氏と和解し編集長として迎え入れます。その後氏はシンコーの看板とも言うべき『ミュージック・ライフ』3代目編集長として評価されるものの、79年にはそれを辞し新たなロックジャーナリズム誌『ジャム』で活躍し、パンク・ニューウェイブの取材で優れた記事を次々と発表していきます。
『ミュージック・ライフ』は1970年代にはすでに業界随一の地位を確立していたため、氏がその編集長というポジションに就いたということは大きな極みに立ったことを意味します。それでもその地位から飛び出し自らの志す理想を追う姿勢とそれを実現していく実行力には大変感服させられます。
水上氏には及びもつかないものの、私も自分の理想を具体化することにずっと取り組んできたので、氏の苦労や気持ちと共通する部分があるように思います。特に『プラスワン』や『ジャム』が売上が伸びず短命に終わったことに対する氏の気持ちを考えると、私のこの20年間の苦渋が思い浮かんできますが、とはいえ私などとくらべるのはおこがましいでしょう。
今回紹介する『さよならホテル・カリフォルニア』は1987年に出版されましたが、その内容は1975から84年までの雑誌に掲載された水上氏の記事を集成したもので、そのほとんどは雑誌『ジャム』に掲載されたものです。『ジャム』は短期間で廃刊となったこともあって中古市場でも現在入手が非常に困難であり、国立国会図書館でも2013年現在まだ収蔵されていません。そうした中にあっても幸運なことに『さよならホテル・カリフォルニア』は現在古書市場で入手が容易であり、水上氏の活躍をなんとかうかがい知ることができます。
私はこの本に掲載されているパンク・ニューウェイブ系を中心とするアーティストにはまったく興味がないのですが、ジェネシスの40年の歴史を追っていく過程でこの本にたどり着き、その時代やシーンを把握するのに大変役立ったばかりでなく、趣向の異なる私であっても大変興味深く読むことのできる深い内容でした。趣味の異なる者にこれほどまで読ませてしまうのは、おそらくそこには核心があって、それが現場から発しているからだと思います。
この中に収録された記事で私が最も気に入っているものは『ニュー・ミュージック・マガジン』1979年8月号に掲載された「肉体から発する荒々しい叫び」です。パンクの記述というとどうしても政治的な視点から書かれがちですが、この記事ではイギリスの当時の若者たちの、ある種の情緒欠落という点から書かれており、彼らの家や食べ物への執着のなさについて説明しているところにとても説得力があります。
現在このような価値ある記事がどれだけ数多く埋もれているかを想像するととても残念です。水上氏の場合はこうした本としてまとめられたために現在でもなんとか読むことができます。しかしたった数本の記事だけを発表して終わったライターの記事であれば、もはや再び目にすることはできないでしょう。この先ロック研究という分野と発表の場が確立できるならば、こうした現状に何かできることがあるのではないかと思います。