一方、イタリア女は
昨日はイタリアのオヤジがいかにもスケベだとでも言わんかのような話を書いてしまって、ちょっと反省している。なぜなら、(理由その一)イタリアのオヤジはスケベなのではなく、単に正直で素直なのだ。そして(理由そのニ)露出度の高すぎるイタリアの女子にも問題があるのだ。
まず、(理由その一)。イタリア人はオヤジだけではなく、老若男女、自分の感情に対して正直なのである。見たいものは見たい、欲しい物は欲しい。周りがどう思おうとも気にせずその感情をストレートに出すだけである。女の子のお尻を振り返って見ることに対しての人の目は全く気にしないし、周りの人も、みんながそうなのだから、「あら、いやだ、あのオヤジ、女の子のお尻を見るためにわざわざ振り返ってる、変態~」というわけにもならないのである。だからオヤジの行動はある意味、正しい。
そして(理由そのニ)。露出度の高すぎるイタリア女子にも少々問題がある。その理由の一つは、イタリアの子供は基本的に褒められまくって育つので、国民総勢で理由もなく自分は美しくて有能だと思っている。ゆえに、ちょっとお太り気味の女子でも「私は太っているからボディラインが見えるような服を着るのは恥ずかしい」とは思わない傾向がある。もう一つの理由として、イタリア女性には全体的に露出傾向があり、テレビをつけると報道番組のアナウンサーでさえ、そのシャツは谷間が見えるくらい胸元を開けているし、バラエティ番組になるともう裸同然の、何の役目も果たさないダンサー的存在の女子たちが、やたらとでてくる。そんな土壌で育っているのだから、仕方ない。
一方、そんな露出女たちへの同性からの反応はどうなのか。オヤジの話をしたからオバサンの話もしておこう。イタリア女の同性に対する目は恐ろしいほど厳しい。イタリアのオバサンたちはこの手の露出女子(昨日の投稿では、腹出し、ボディコンのトレーニングウェアでジョギングしている女子の話を書きました)のような輩を滅多切りにする。
「太っているのにあんなにぴったりした洋服を着て、自分では素敵だと思っているのかしら」、
「下着の線がばっちり見えていて、ちっとも品がないわ」、
「私ならあんな格好、恥ずかしくてできないわ」
と、非難の言葉を乱発するのである。もちろん、本人に直接は言わないが。
イタリア人はいろんな意味で自分の感情に正直なのである。