私がフィジーでIBに挑戦している理由
初めまして。フィジーのインターナショナルスクール (International School Nadi) Yr.12に在籍している円満です。
この学校に転校してちょうど1年半、現在は国際バカロレア(IB)の取得に向けて挑戦中の毎日。
今後、こちらのnoteでは、私がフィジーに留学した経緯、なかでも敢えて国際バカロレア認定校を選んで留学した理由、そして日々の挑戦と困難などについて説明していく所存です。
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1.もともと帰国子女だった私
2.中学受験した帰国子女が陥りがちな落とし穴
3.フィジーに決めたのは現実的な理由
1.もともと帰国子女だった私
私のフィジー留学への決断は、幼少期に海外経験のある帰国子女が直面しがちな問題に起因する。
私はもともと、アラブ首長国連邦(以下UAE表記)という国で小学3年から6年の4年間を過ごした。まだ脳みそが柔軟だった小学生の頃の私は、語学力の鍛錬においてはこの上ないタイミングでアアメリカ系インターナショナルスクールに在籍し、小6で英検準一級を取得して日本に帰国した。
その一方、インターで求められる理数教科のレベルは日本と比べると格段に低い上、歴史・社会といった教科は存在せず、それらの分野において必然的に日本人の生徒に遅れをとることとなった。そして当然、日本語を喋る機会も少ないので、国語は決定的な苦手科目となっていた。
つまり、私はこの時点で、英語という武器を手にした代わりに、理数教科が周りと比べて壊滅的で、社会・歴史といった教科はゼロの状態、国語も苦手、という、日本の中学生として最弱ステータスが確定していたのだった。
2.中学受験した帰国子女が陥りがちな落とし穴
幸い「英語」という強みがあったために合格を手にした、英語の教育に重きを置く中高一貫校。案の定、入学後はかなりの苦労を強いられた。
というのも、帰国子女を積極的に受け入れるとはいえ、やはり日本で教育を受けてきた生徒が圧倒的大多数を占めていたため、当然、授業ではその生徒達の知識と理解レベルをベースとして展開される。
帰国生はそれまで全く違うカリキュラムのもとで勉強していたので、そもそものコンセプトを理解するのに時間を要してしまうのだ。
私の場合、元来文系人間であるせいか、国語は必死に他の生徒に追随して、何食わぬ表情で遜色ない成績を収めることができた。しかし、ぬるいインターで高得点を取得していた理数系科目。難解奇問が繰り広げられる、大学受験を視野に入れた授業においては、努力そのものを諦め、結果的に自ら数年間に渡って続く「苦手」を作り出してしまった。
一方で、英語・英会話の授業では水を得た魚であった。中1で学校の代表メンバーとして、ニューヨークの模擬国連にも参加した。英語というアドバンテージを最大限に利用しなければ、周りには無い「帰国生としての価値」を自分に見出すことができない。優秀な友人に囲まれるなか、そういう危機感を抱きつつあった。
一貫校で高校に上がった私は、その後さらなる弊害に気付くことになる。私の勉強面における最大の強みは「英語が喋れること」。しかし、実際に私が本場で英語を学んでいたのは小学生の時であり、中学校で勉強した英語は「日本における中学生の英語」レベル。そもそも英語を喋る機会が減ったことで、小6までに培った私の英語貯金は、着実に目減りしていたのだ。
このまま高校で英語の授業を受け続けたとしても、根本的なスキルアップは見込めない。このままでは、私は「周りより少し英語が喋れる」程度に落ち着いてしまい、自分の強みとしては通用しなくなることが明白であった。
そんなとき、尊敬していた英語講師が授業中「中途半端な帰国子女なんて大学・企業側からしたら一番要らない」と発言したことが胸に刺さった。
山の上に建つ美しい学び舎が擁する、小規模な中高一貫校の4年目。恵まれた環境ではあったものの、ここで卒業までの時間を費やしたらどうなるか、自分の先が見えてしまった気がした。
環境をまるごと変えたい。これまでとは全く異なる挑戦がしたい。違う世界を見たい。再び英語圏で勉強したい。そして、自分の価値観を覆したい。そんな思いが募ったのと、母が留学の可能性を提案したのがちょうどこのタイミングであった。
3.フィジーに決めたのは現実的な理由
海外留学を視野に入れ、現実的に考えたのがビザの取得可能性と金銭面であった。UAEでは海外駐在員である父という後ろ盾があったものの、個人留学には高いハードルが存在する。学生ビザ取得のノウハウが存在し、さらに物価(学費+生活費)の低い国が望ましいが、そういう国の第一言語は英語ではない国がほとんどである。
第一言語が英語ではないにしても、インターナショナルスクールであれば授業は英語。さらに、世界中に存在するインターの中でも一定のスタンダードを満たしている学校、さらに欲を言えば国際バカロレア認定校であれば、自分のニーズを満たすと考えた。なんでも、IBとは世界中の学生が取得を志すアカデミックな資格であり、IBにおいて求められるのは「バランスのとれた意欲的学習者」とのこと。それまで苦手な科目を見ないようにしてやり過ごしてきた私にとっては、この触れ込みは殊更刺激的に思えた。
星の数ほどもある世界中のインターの中から、私が上記のような学校を探していた間、母はそんな国での転職情報を検索していた。幸い、母は私と同様帰国子女であり、UAE滞在中にも現地で仕事をしていた経験がある。日本ではフリーランスとして働いていたが、私が留学を志したタイミングで、海外転職を模索し始めたのだった。
マレーシア、ブラジル、インドと言った候補先が湧いては消えるなか、母娘でぴんと来た国が浮上した。フィジーだ。
フィジーは発展途上国である。この言葉の意味を深く捉えることなく、むしろ「物価が安い」「インターの学費も世界のインターと比較してかなりリーズナブル」という利点で捉えた。UAEで通っていたインターの教育費は、総額で年間300万円以上であったが、フィジーであれば高校課程でもその6~7割程度の金額であった。
母は、留学関係というそれまで無縁だった業界の面接を、一次二次と進み、内定以前にインターに直接メールと電話で問い合わせを開始した。フィジーにはインターが2校あるが、どちらも国際バカロレア認定校であり、転入書類(成績証明書や在籍中の高校からの推薦状)の内容によっては、バカロレア取得コースへの編入も可能とのこと。これは奇跡だと思った。
難易度や競争率のバカ高い入試を受けることなく、我が家にも手の届く金額で、幼稚園からYr.13まで全学年の生徒が200名ちょっとという小規模インターにおいて、国際バカロレアが取得できるのである。
それを踏まえたあとでは、フィジーに関する情報収集はどれも魅力にしか映らなかった。「世界で一番幸せな国」というキャッチコピー。穏やかな気候と国民性。こんな美しい国でIBを通して自分の弱点強化と新たなるな基盤を作ろうと、母とふたりでの渡航を決めたのであった。
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