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ゴミ箱

夫はフランス人だ。でも、私はフランス語が話せない。

厳密にいうと、簡単な内容ならわかったりはする。家の中で「あれして」「これして」くらいの会話ならどうにかなる。でも、一応生業として使っている英語に比べると雲泥の差だ。

まだ夫と付き合って間もない頃、まだフランス語もほとんどわからない、でも、付き合っている大好きな彼の話す言葉だ。ちょっとでもわかりたいなと思っていたそんなある日。私たちはホームセンターで買い物をしていた。目の前の陳列棚にはゴミ箱が並んでいて、それを目にした私は、何気に「ねえ、ゴミ箱ってフランス語でなんていうの?」と彼に尋ねた。「それはね・・・」という言葉を待っている私に差し出された言葉は、しばらくの沈黙の後に一言、「ない」。

えっ、ゴミ箱って言葉ない?えっ、ゴミ箱がないってこと?いや、それはないでしょう。文明社会、いくらゴミが落ちているって言われてるフランスにもゴミ箱あるでしょ。

矢継ぎ早に質問する私に対し、あくまで反応の鈍い彼は、「う〜ん、ない。」あまりの潔さに黙るしかなかった。納得はしなかったけど。

数ヶ月経ったある日、それは突然やってきた。ゴミを指差して捨てるようなことをフランス語で言ったときに私は聞いたのだ、poubelleという言葉を。私の耳は鋭くその言葉を捉え、彼に言った。

私「え、今プーベルとか言わなかった?それってゴミとかゴミ箱のことじゃない、今のシチュエーションだったら。」

彼「え、そうだよ。」

私「え、前にゴミ箱ってフランス語にないって言わなかった?」

彼「え、そんなこと言ったっけ?言わないよ。思い違いじゃない?」

私「いや、ないって言った!」

夫「そうだったけな〜」(とシラを切る)

後でわかったことだが、ゴミ箱という言葉をすっかり失念していたらしい。海外で母語以外でずっと生活していると、母語がスッと出てこないことはあるが、ここまでの言い切りはなかなかなものなのではないかといまだに思う。言葉が出てこないから、ないことにしてしまうなんて。これもフランス人特有の主張の強さゆえなのか!


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