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それってパリジェンヌ?~フランス語、デモ・スト・表現の自由、共和国の理念 (ライシテ)

フランスにあこがれて、「パリジェンヌみたいになりたい」と思っている日本人女子が多いです。

その人たちの一部に見える間違い・勘違い・足りない所は、指摘されているのに当の本人が気づいていないように見受けられるケースもあります。

以下に、私なりにまとめさせて頂き、「パリジェンヌみたいになりたい」けど間違い・勘違い・足りない所に気づいていない誰かに届いてほしいと思います。

1:フランス語を楽して身に付けられると思っている

フランスに行っただけで、大人の外国人が、一日中フランス語漬けになったとしても、そのまま楽して習得なんてできません。

単語の並べ方の規則(文法)とか単語の綴りを確認しながらでないと、(言葉は悪いですが)フランス人で現地の学校で読み書きができない層(日常の口頭の会話だけはできる)より悪いことになります(日常の会話もそのレベルまで行かないでしょうから)。

2:デモやスト、「表現の自由」が理解できない・興味がない

私の日本人の友人は、大学でフランス語を学び始めて日本で大学を卒業、パリにまた勉強→仕事をしに行き長いこと住んでいましたが、

パリでデモにも参加していました。そして、日本のデモとどう違うのか・どうすれば日本でももっとデモをやりやすくなるのかも、教えてくれました。別に何かの運動に興味ある人や活動家(日本ではこの層がデモに参加する層ですね)ではなく、普通の住人です。

ここまでできないと、本来は、「私ってパリジェンヌ」と言えないと思います。

参加はできなくても、デモやスト、「表現の自由」は理解しないといけません。

血と理念で勝ち取った、フランス人の革命以来の権利「自由・平等・同胞愛」です。そして、平民であるあなたが今パリで楽しめるのも、革命→その後の民主主義社会、のおかげですから。

(さすがに、Gilets jaunes みたいに長期化・経済に大きな影響がある規模になると、フランス人も「いい加減にしろ」ってなってましたけどね)

「表現の自由」については、他国の文化をわざわざ貶めてまでも尊重されるのか、という考えもありますが、かの地の「表現の自由」には辛辣な風刺も含まれる、ということです。

そういう考えなのですから、仕方ありません。これについては、議論しても平行線のことが多いでしょう(議論してますか?)。

ましてや、テロは、ペンへの殺人(暴力)での報復なわけのですから、それだけでも糾弾されて仕方のないこと、というわけです。

3:現代フランス人の根底にある共和国の理念を知らない(特にライシテ)

上記の「表現の自由」にも関連しますが、最近、フランスでのイスラム教徒のテロが話題になっています。

これを、十字軍(キリスト教徒 vs イスラム教徒)の繰り返し、などと言う人がいますが、フランスは今、キリスト教の国ではありません。

元々はもちろん、また、今も見かけはキリスト教徒(カトリック)が多いですし(クリスマスも盛り上がりますね)、教会ももちろんあるし、信者も多いですが、

20世紀の最初にすでに、公共の場(学校とかみんなが集まる場所)に宗教性を持ち込まないことが決められています。

この、宗教を持ち込まないこと(日本語で近いものだと「政教分離」)をフランス語で

 laïcité ラ イ シ テ 

といいます(この言葉は最近、このまま日本でも使われているようです)。

具体的には、例えば学校に、特定の宗教を示唆するもの(イスラム教の女性のヴェールとか、キリスト教の十字架のペンダントとか)は、身に付けていってはいけない、というのが有名で、

つまりはみんなフラット、どの宗教を信じてもいいけど、他人に押し付けるようなことはしない・押し付けられることは無い、のです。

これを共和国の理念として、小さいころから学びます。そして守ることを追求していきます

(イスラムの水着についても議論されました。甘くするより厳しくする傾向にあるようです)。

これと、先にデモ・ストの際に登場した「自由・平等・同胞愛」が、共和国の大きな理念です(ライシテは、宗教の自由、とも言い換えられるかもしれません)。

あとは「フランス語が話せる」というのも、共和国を構成する大事な要素です。でないと国がまとまりませんからね。

そうして「フランス共和国」とは、キリスト教を起源に持つ白人の国、なのではなく、これらの共和国の理念を共有しフランス語を話す人々のまとまりである、という、きわめて観念的なものとなっています。

もう移民がたくさんいるし、特に今となってはこれをさらに追及していくしかないのです。国家を歌って、精神+言語で団結していくしかないのです。

ここに、イスラム教、キリスト教などの偏ったものが勢力を持つと、別の勢力の自由が保証されなくなり、共和国としてのバランス・存亡の危機に陥ってしまうのです。

イスラムの風刺画を載せた新聞社は、キリスト教(カトリック)の風刺画も載せていましたし、別にキリスト教を擁護するような新聞ではありません。

どの宗教もフラットに並んでいて、どの宗教も風刺の的となる、特別扱いされるものはない、そこからみんなの共和国が生まれる、ということでしょう。

ですから、テロとの戦いは、十字軍(キリスト教徒 vs イスラム教徒)ではなく、共和国(ライシテ)vs 特定の勢力との戦い、と言えるかと思います。

そして、フランスにおけるキリスト教(カトリック)はというと、今では、幼児洗礼は多くの人が伝統として受けても、実際の多くのフランス人は、ライシテの教育の結果、無神論者に近いでしょう。教会に行く人もだいぶ少ないです(クリスマスだけはちょっと例外かな)。

フランス(パリ)好きを自称するなら、ここまで知らないと、恥ずかしいかと思います。 

大丈夫ですか?日本人までもが再建を願うノートルダムは、キリスト教の聖堂だから国に保護されているのではなく、文化遺産だから保護されているし(教会の物ではなく国有)、

クリスマスは国家の行事ではなく民間で習慣・ヴァカンスの一種でやっているもの、です(もちろん教会や信者にとっては大事な行事で、その自由はもちろん保証されているわけです)。

アメリカのように、大統領就任宣誓の際にBible に手を置く、なんてことはありえません(余談ですがフランスを見てからアメリカを見ると、かの地のFreedomはとても奇異なものに見えます。何が自由なのか?)。

フランスのライシテ、パリの日本人に話に戻すと、十字架とか流行った奇跡のメダイユを、フランスはキリスト教だから、なんて、得意げに身に付けてないですか? (そもそも自分はキリスト教徒でもないのに)

日本人が抱く、白人のキリスト教の国、というイメージとは異なるでしょうか?(ちょっと幻滅しましたか?)


観光や買い物ばかりでなく、現代のフランス社会についても、本やネット記事でも読みましょう。

フランス人とせっかく仲良くなっても、お話が続きませんよ。


あなたは真の「パリジェンヌ」になれそうでしょうか?


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