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おまえは何を持っているのだ ①
二十歳ぐらいの頃、
私は絵本作家になりたいと思っていました。
大学卒業を前にして周りのみんなが就職活動をしている中、私はリクルートスーツに身を包むことなく、絵本創作が学べるデザイン学校へ入学願書を出し、翌四月からの入学を心待ちにして過ごしていました。
デザイン学校では2年間、絵本創作について必要なことを学び、毎日絵本のことを考え、実際に何冊かの絵本を制作しました。
私は文章を書くことは好きでしたが、絵を描くことについては絶望的レベルの才能を持っていたので、この2年間は苦労と挫折の連続を味わい尽くす時間でありました。
デザイン学校では絵本創作の専攻授業とは別に、他の専攻クラスと一緒に全体でのデザイン基礎に関する授業があります。
デッサンやイラスト、ポスター制作など、上手に描くこと以外は認められない授業では、毎回地獄のような時間を過ごしていました。
自分の絵をなるべく人に見られないように、隅っこでひっそりと作業する日陰を好むキノコのように。日の当たらない場所でひっそりと生息していました。
デザイン学校に来る人は皆、当たり前のように絵が上手く、私のようなレベルの絵を描く人はどこを見ても見当たらなかったのです。
絵本の絵も思ったように描けずにモヤモヤした毎日を過ごし、毎日の課題の山に埋もれながら、もう学校を辞めてしまいたいと何度も思い悩む日々を過ごしていました。
私にとっては過酷とも言える日々が続いていたわけですが、ある時突然に、その風向きの変わる出来事が訪れることがあったのです。
私が通っていた学校の絵本創作学科では、2年目の夏に長野県で合宿があり、全員がそこに参加します。そこには特別講師として絵本作家の田島征三さんが来て下さり、ワークショップなどを通して普段学べないことを学べる機会があります。
田島征三さんは『とべバッタ』『ちからたろう』『しばてん』など他にもたくさんの絵本を出版されていて、自然物を使ったアート作品や多岐にわたるプロジェクトなどにも参加されています。2009年には新潟県に「鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館」という廃校になった小学校を改装した美術館を開館しました。
しかしこの楽しみな合宿の前にはひとつ、越えなければならない課題という名の山がありました。
この合宿前までに、卒業制作に提出する絵本の内容をほぼ完成させ仕上げていなければなりません。全てのページの絵と文章を完成させ、1冊の絵本としてこの時点での完成形を作っていないといけないのです。そしてこの完成した絵本と共に合宿に参加するのです。
絵本学科には二人の先生がおられました。
そのうちの主の先生であるM先生は、隣県で絵本専門店の本屋と絵本塾などをされていて、数多くの絵本作家の方たちと交流があり、人格者でもあり、とても素晴らしいセンスと感覚を持つ尊敬できる大先生です。
もう一人の若い女性の先生もとても尊敬するとても大好きな先生ですが、今回はM先生に絞ってお話をして行こうと思います。
このM先生に見てもらいながら卒業制作を進めていくのですが、私が書いていた卒業制作絵本についてのM先生の評価は、「よくわからない」というものでした。
「よくわかならない」と言われ、何度も何度も内容を見直し修正したものを見てもらうのだけども、その度に首を傾げられて「よくわからんな〜」と言われ続けていました。
進展もなく先の見えないやり取りが何度も続き、夏合宿までの時間も刻々とせまってきて、もう時間がせまっているし、自分ではこの絵本は面白いと思っていたので、
「私はこれで行きます!」とM先生に宣言し、
「よくわからんな〜」と言われ続けた絵本を持って夏合宿に向かうことになったのです。
夏合宿は私が通っていた学校だけでなく、他地域の学校の生徒たちとも合同であるものでした。
合宿の中で、参加した生徒らが作ってきた絵本を、田島征三さんに見てもらう時間がありました。数十冊という数の絵本を征三さんは丁寧に1冊づつ読んでくれていました。
一人一人に、アドバイスと言うよりは読者としての感想を伝えてくれていたように思います。
そのひと言ひと言が嬉しく励みになりました。
征三さんが全員の絵本を読み終わり、夜も更け、少しまったりしたような時間が流れていた時に、M先生が征三さんにこんな質問をしました。
「全員の絵本読まれて、何か気になった作品ありました?」とM先生が聞くと、
征三さんは「あ〜、あのコレコレこういう話の面白かったなー」と、
私が書いた絵本のことをおっしゃってくれたのです。
他のクオリティ高そうな数十冊の絵本の中から私の絵本が!
M先生は「あれですか?!」と溢れ出す驚きを隠さないでおっしゃってましたが、私の絵本を面白いと征三さんが取り出してくれたことが本当に嬉しかったです。
「最後のあの場面にあれ面白いよね〜。ナンセンスだね〜。」と、そんなような感想を言って笑って下さっていたと思います。
誤解のないように書いておきますが、M先生が私の絵本を「よくわからんな〜」と言っていたのは深い愛情からくるものだと思っています(多分)。
絵本指導者としての愛のようなものだと受け取っています。
毎回M先生の頭を捻らせて指導してもらっていましたが、最後には「僕はこれはよくわからんけども、そういうものだと思って捉えるわ」というようなことをおっしゃって親身に見て下さっていました。
もっと多くの人に分かりやすく伝わるような工夫が何か欲しかったのだと思いますが、そこへと行き着くことはこの時の私はできませんでした。
高い知識や鋭い感覚を持つM先生の頭を捻らせて「よくわからんな〜」と言わせたこの「よくわからんな〜」という言葉は、褒め言葉のようにも思えた私はそこそこ捻くれた性格ではあったと思います。
合宿後も、M先生は頭を捻らせてながらも、私の卒業制作と真正面から向き合って指導してくれた、大尊敬する先生です。
そんなM先生ですが、アロハシャツ着てサングラスして歩いている姿はかなりヤバい人に見えます。仁義なき戦い方面のヤバい方です。
ある日、先生の前を歩いている男性がゴミをポイ捨てしたのを、先生が拾って「落としましたよ」とその男性に伝えると、かなり怯えて「すみません!」と言ってゴミを持って慌てて去っていった、と言う逸話など、他にもいろんなネタ話を持つ大変ユニークな先生です。
この夏合宿で、征三さんに私の絵本を褒めていただけたのが自信ともなり、私が持ってるこの感覚で続けてみていいんだな、という安心感を得たように思います。
合宿後の学校での授業は、専攻学科メインの授業となるので、デザイン基礎授業のデッサンやイラスト描く授業などの、地獄の時間と課題の山とはおさらばすることができました。そんなこともあり、絵の問題は抱えつつも絵本制作と言う好きなことに打ち込める時間を持つことができるようになったのが、私にとっては大きな救いでもあったと思います。
夏合宿後から風向きは変わり、向かい風は収まり、卒業制作で忙しいながらも安定した日々を送ることができていました。
自分の風を吹かせてもいいんだという自信を、自分の根底に持つことができるようになっていたと思います。
いろんな風が吹いて来ても、それを楽しめるようになっている自分がいるようでした。
ここまで前半を書かせてもらいました。
毎度のことながら長くなってしまったので、後半は次回に載せたいと思います。
次回は、夏合宿での召喚的ワークショップの話と、タイトルにある言葉「おまえは何を持っているのだ」の真相にせまる話を書いて行きたいと思います。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
次回に続きます。