「何をどうしたらいいのかわからないほどに」、鬱。
9月から10月に変わるあたり、毎年のように体調がおかしくなる。
これを自律神経失調症だとか季節病だとかいろいろ名前をつけてみたことがあるけれど
体調だけでなく基本的に鬱になることから始まっているようで、
何とも原因も対策も取りにくい。
とにかく、5・6月とこの時期は苦手なんだ。
あと2月。
なんて、適当なことをいつも思う。
一年のうちに私の体調がいいときってどれくらいあるんだろうな。
ところで、その5月、
以前にも書いた「縁切りをした相手」についてだけども
あれからもいろいろと「縁切り」を考えなければならない存在の人がいて
「あーもう、これって人間関係の断捨離の時期か?」と思ったりする。
仕事をしながら大学院に行っている身分なのだが
初めてアカデミックハラスメント的なことがあり、それが結構なトラウマとなって遺恨を残した。
そして、そのトラウマのせいで、違う人間関係にも影響が出だしたのだ。
教授からのアカハラを話しているときに
「いつまでそのことを愚痴る気なんだ、もう終わったことだろう。
トラウマなんだというなら、もうそんなこと、もう向き合う必要もない」
と言われたことがあった。
その相手は昔私を無視し続けていた人で、
最近は事情があって仲良しに戻りつつあったけど
「あ、こいつそういえば、もうそんなに優しくなかったんだっけ」
と思う人だった。
「向き合う必要のないトラウマ」、ですか。
その言葉がひっかかり、そしてその数週間後、その人とのやりとりをやめてしまった。
「もう向き合う必要のないトラウマ」、は、あんたからももらったんだよ、と感じたから。
なかなか、孤独なものである。
大嫌いの前には何事にも、「ふつう」か「好き」があったり「尊敬」や「甘え」があったりするからだ。
ここから「無関心」にもっていくにはどうしたらいいのだろうな。
そんな感じで、どうしようもないくらいに気分が落ち込んでいる。
どれくらい落ち込んでいるかというと、ニーアオートマタを配信で見て鬱になり、理由を探してネット徘徊をして鬱になり、救われない思いからヴァイオレット・エヴァーガーデンを見たものの、最後の劇場版の少佐との再会、そして
「ずっと、こうしたかった」の一言で興醒めするほどに、鬱である。
え?なんすか?恋愛感情でもあったんですか?
いや、どっちでもいいけど、崖を走りながらくだっていって、
もう出た船に大声で彼女の名前呼んだら聞こえるっていう流れは王道すぎやしませんか。
や、たしかにヴァイオレットはかわいそうだったけど
もう私は「そういうもんだ」とわからされるには十分すぎるくらいこの作品の良さを
彼女の成長物語だと認識していたのだけど。
と、まぁ
このように、朝方までこの作品を見たのにもうどうしようもなく辛くなって泣くほどだった。
とりあえず、
今日も仕事頑張らなければ。そして生きていかなければいけない。
「何をどうしたらいいのかわからない」と言いながら、仕事だけはあるのは、
社会人の良いところなのかもしれない。
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