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信じるべきは「運命」ではなく「違和感」

誰かと初めて出会ったあとに、「え、めちゃくちゃ気が合うやん!めっちゃ楽しい!」ってなって、どんどん仲良くなる時ないですか。

私はそれを ご縁があった!と感じるし、運命的!とも思うし、嬉しいし幸せになる。
まぁ単純なのかもしれないのだけど。

この世界に何億人といる人間の中でそんな人に出会えたら、老若男女関係なく「今まで頑張って生きててよかった!」て思うんじゃないかと。

私にももれなくそういう出会いはこの40年弱で何度もあって、今でも付き合いの続く人がいることはありがたいなーと思っている。

でもそんな素敵な気持ちよりも、もっと自分の「信じるべき」感覚がある、という話を今日は書きます。


私がある人に出会ったとき、そこまで
「運命的!」って思ったわけではなかったと思うのだけど、なんだか気付いたらいつもよく話をする人で、いっしょに遊んでたら楽しいな、と思う人だった。

自分の全く知らない職種についていて、当時仕事を転職しようか迷っていた私には興味深い話を何よりたくさんしてくれた。

そして、その人は私の生きてきた経歴と何もかすることなく、と言っていいほど、共通点の少ない人だった。
そこが本当に面白かった。



世の中にはいろんな人がいる
世の中にはいろんな仕事がある
世の中にはいろんな考え方がある…

新しい世界を知れたようで本当にワクワクした。

出会えて嬉しいな、楽しいな、いろんなことが勉強になるな・・・


それは決して間違ってなかったと思う。

でも、相手の「人間性」まで私は見てたか?というと、そこに気づくのは仲良くなってからだいぶあとだったなあって思うようになった。

たとえば、

自分のトラウマを告白した時の反応。
「それはもう、過去のこと。自分のせいじゃないんだし、いつまでも引きずっていたって何も変わらないよ。気にしたって仕方ない。」

たまに精神的にパニックになってしまう、ということを伝えた時の反応。
「そうやって何度も自分で自分をころしてきたんだね、かわいそうに。」

人が これは常識、当たり前 ということに関して問われると
「自分が良いと思うことが自分の常識であり当たり前であって、人がどうこう思うかなんていうのは関係ない。自分の思うように生きていくほうがいい。」
「相手が何か思うことがあるなら相手のほうからこちらにそう申告するべきで、それを察するべきとか、考えるべきとか、そういうことが世の中には多すぎる。気にすることはない。」


一見、「そう・・・かな」と思わないことでもない。

確かに日本人は周りの目を気にしていきていきすぎ、息苦しくなっているとは思う。

最初はそんな感じだった。



でも、正直私の中には少しここで違和感があった。

「これらのことって、別に間違ってないけど、それでいいの?

「私はこうやってこの人に接してもらっているけど、それでいいの?

「この人のこのやり方、私は大丈夫?私はこれ、すきなの?


でも、いやいや、

好きとかいいとか、それって私の勝手。

そんな気持ちがあって、なかなか、相手を否定したりすることはできなくて

そのまま時間だけ流れていってたなと思う。



でもちょっとしたその「違和感」、それを何度も押し殺して見ないふりをしていたのは事実。

「これがこの人のやり方だから」

「この人を責めるのは間違っている」

「間違ったことを言っているわけではない」

そのたびに、心が少し荒んで、体が重くなっていってた気がする。

それで気づいたらどんどん体調がおかしくなっていってたんだよね。




臨床心理士と話をしていたとき
「その相手に何か話をされた時、どう思いましたか?」

と聞かれて

何でそんな言い方をするの?どういう意味?どういう意図で言っているの?と、何度も悩んだし、聞き返したりしました。」

と答えた。

「相手は、どんな反応でしたか?」

「私にわかりやすく説明してくれる時もありました。
 自分が誤解していたんだなって思う時もあった。

 だけど、たまに説明を面倒くさがったり、相手がうまく説明出来ない時があったりして、何が言いたいのか、意味が、こちらが全くわからなくて相手の言葉をそのまま受け取るしかない場合は心に穴が空いた感じがした。

 そしてその時 なんで わからないの と責められたり、わからないならもういいよ、気にしないで と言われて、何だか匙を投げられたみたいで・・・そういうとこが悲しかった」


「それでどうしましたか?」


理解が足りない自分が悪いのかな、と思ったりしました。」



違和感に気づいていても、それをなぜか自分で克服しようとしていたのだとこの時気づいた。

自分が努力すれば、この違和感はなんでもない、これはただの私の勘違いなんじゃないかなって思おうとしていたんだと。

「人間みな他人、分かり合えなくて当たり前!じゃあどうする?自分がかわればいいじゃん!」って。

この考えも、別に間違っていないけど、私は自分の心がこの時すでにズタズタになっていることは気づかないふりをしていたのだなと思う。

自分が傷ついていることに気づかないほどに相手が好きだったんですか?と思ったりするんだけど・・・おそらく「自分が信じた人を、信じたかった」とかそういうエゴなんじゃないかなと今は思ったりする。

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