中村博保先生のこと
話がまたしても脱線しますが、「吉野大夫注」(のちの「吉野大夫」四章)で、「『吉野大夫』は谷崎潤一郎の『吉野葛』ではないかという説」を唱えた知人は、中村博保氏ではないかと勝手に思っている訳ですが、中村氏は私の高校時代の国語教師(と言っても一年間だけ)でもあり、ゴトウメイセイ氏のことを教えてくれた恩師でもありました。
中村氏いわく、「僕の友人に四回も芥川賞候補になりながら四回とも落選した作家がいて、ゴトウメイセイというんだが 」とのことで、神保町の書泉グランデに行って「ゴトウメイセイという作家の本はありますか」と聞いたら、文芸書コーナーに案内され、そこにあったのが『笑い地獄』『何?』『書かれない報告』の三冊で、その中から最新刊の『書かれない報告』を買ったのが、後藤明生文学との出会いでした。(『私的生活』はその後、古書店で入手しました。)
明生文学は、どの作品から読みはじめるかによって印象(評価)がガラッと変ると言われますが、『書かれない報告』の「無名氏の話—後記に代えて—」は、私にとっての、まさに「楕円ショック」で、世界の見方がガラッと変わった気がしました。
後藤明生と中村博保
中村博保氏については、例えば「文体」の同人後記に
と紹介されていました。又、「新早稲田文学」の表紙にも、中村比呂保という名前で登場していました。
又、お二人の略歴を比較すると、
と、二人は同年に生まれ、同時代を生きた盟友であったことが分かります。
又、明生氏は「秋成の〈悪霊〉たち—『雨月物語』」という、やや長いエッセイで、中村博保氏の『寓言論』を紹介しています。
(『寓言論』は、小説「ひと廻り」(『笑坂』所収)などにも登場し、明生文学の原動力ともなる重要な理論かと思います。)
『雨月物語』と『吉野葛』の関連事項
後藤明生著『雨月物語紀行』の「蛇性の婬」の項に
とあります。
因みに高田衛氏の「「蛇性の婬」の系譜―秋成・鏡花・中上健次」によると、「谷崎潤一郎は、大正十年(一九二一)頃、映画芸術運動にかかわるなかで、「蛇性の婬」の映画化をはかり、実際にこれを実現している。谷崎は台本を書いた(脚色と称している)」そうで、「映画化というかたちで行われた、谷崎のこのような芸術的な表現行為も、今後もうすこし注目されてよいと思われる。」とのこと(高田衛『女と蛇 表徴の江戸文学史』筑摩書房1999.1.10、p.27)。「蛇性の婬」は、その展開において『吉野葛』には、馴染まなかったように思われます。
(高田衛氏(1930.4.17 - 2023.7.5)は、日本近世文学研究者で、中村博保遺稿集『上田秋成の研究』や『後藤明生コレクション』の発刊にもご尽力頂いたそうです。)
又、後藤明生氏による現代語訳『雨月物語・春雨物語』(1980.4)にも、中村博保氏と高田衛氏の解説・関連解説が掲載されています。
後藤明生氏の芥川賞四回落選のエピソード
「文学が変るとき」(「(2)文学が変るとき」)というエッセイに、
とありますが、これは、第60回芥川賞候補一覧の以下の選評を示すものと思われます。
中村博保氏の授業の宿題には、「小林秀雄の『無常という事』を○○字以内で要約せよ」とか、三島事件(1970.11.25)の際には「事件に関する見解を(丸山眞男の「である論理」と「する論理」に沿って)纏めよ」など、刺戟的な話題が多くありましたが、後藤明生「文学講義CD『吉野葛』」の内容を纏めるとしたらどんな内容になるのか、『小説—いかに読み、いかに書くか』の「エピローグ—「話し言葉」と「書き言葉」」などを参考にして考えてみたいと思います。
(続く)