見出し画像

私は“気働き”できる女

今日の朝ドラ「らんまん」で
みえおばさんがお寿恵ちゃんを評して(期待して?)
言った言葉、
「愛嬌、度胸、気働き」。
ハッとした。
私の目指すべきところはこの辺だ、と。
自分の特性を活かして進む道しるべを見つけた気がした。
特に、「気働き」。
気が利くとか気遣いができるという意味だそうで、
この言い方は初めて知った。
でも、とてもポジティブな印象を持った。

私はここ近年、
自分自身の気遣いしすぎる性格にうんざりしていた。
気付いてしまう。
人の困りごととか、言葉や態度のニュアンス、その裏側の想い。
想像力が働きすぎる。
私の円滑な人間関係構築や信頼性に
間違いなく一役買ってきた一方で、
もちろんその想像力は、
私の独りよがりの勘違いや考え過ぎでもあって。
しかし、気付いてしまったからには、
自分の気遣いの囚われからは逃れられず
相手の気持ちを優先するあまり自分を犠牲にしたりする。
そして苦しくなる。。
そもそも私が気遣い過ぎるからだ、、と思って
最近は自分を閉じるようにしている(笑)

それに、気遣い過ぎは人付き合いのバランスも崩れる。
「そこまで気遣わなくても…」とか
「気遣われると逆に気遣う…」とか。
(こういう風に思ってまた気遣ってしまっている)
本当にその気遣いは勘違いかもしれないし、
例え勘違いじゃないとしても、
気遣わない方が良い場合はあると思ってる。
私に気遣われたくはない、とかね。

望まれてもないのに勝手に気遣って疲れて苦しくなる不毛さ。
そうならないように自分を閉じて、
なるべく
気遣いしないことに気遣うようにしている。

言い訳かな。
自分を犠牲にしがちな自分を守るためだけど。

そこで、冒頭の「気働き」。
自分で自分に蓋をしていた特性が、長所として輝いて感じた。
ずっとこれが私の長所だったのだ。
私、気働きできるわ、と、しっくり感じた。
瞬間的に、そういう自分に自信が持てた。
気働きできるから、
人生何やっても、何があっても、
大丈夫かもしれないなと、力がみなぎった。
言葉の力だ。

「気が利く」と「気遣う」と「気働き」。
同じような意味とされているけど、
ちょっと違うニュアンスがある。
「気」を自分で主体的に扱うニュアンスが
「気働き」の言葉にはあると思ってる。
気遣えてしまうのは私の特性なんだから、
それを活かして行動したり、
敢えて行動しなかったり。
自在に扱うことができる人がきっと「気働き」ができる人。

自分の特性を否定せずに、
自信を持って、
主導権を持って、
世界を閉じずに向き合っていこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?