「話す」は「離す」
心の中のモヤモヤを人に話すことは勇気がいる。
すごく誰かに聞いて欲しいし話したいのに、
話したくないと思う。
気づかないように認めないように
モヤモヤのまま誤魔化していたことが
話すと、形になってしまう。
それが怖い。
きっと現実を受け止められない。
怖い。
そんなモヤモヤをいざ話すタイミングは、
たいてい不用意に訪れてしまう。
全然話そうとしてなかったのに、
気付いたら話し始めている。
話してみると、自分でもびっくりするような
強い言葉が発せられたり
大切な人に言いたくもないことを言ってしまったり
我ながら自分の本心に気付いて涙したりもする。
八方美人で仮面を被ってる自分とは別の
もう1人の自分がいることを認めたくない。
どっちが本当とか考えたくない。
嘘ついてるわけじゃない!
自分を好きでいたい。
二面性のある自分を嫌いになりたくない。
とにかく、話すとショックを受ける。
自己嫌悪に陥る。
もう誰にも何も言わないでおこうと思う。
…
それなのに。
話したことは、たいていうまく好転する。
最初は話したことを後悔しても、
少し時間が経つと心がスッキリして
元気になってることに気付く。
そして、妙案がひらめいたり、
なんとかなるさと自信がみなぎってきたりする。
話した相手が私を想って助けてくれるというのもあるかもしれない。
だけど、それ以上に、話すと自分自身が変わるんだと思う。
話して後悔したことはこれまで何百回もある。
でも、話して救われたことも何百回もある。
言語化、特に、話して世に放つ力はすごい。
もっと話したい。離したい。