「お前がわるい」vs「自分はわるくない」
なにかを「やめる」のってむずかしい。
だって人は、基本的に、同じことを続けていくほうがらくな生き物だと思うから。
やめる、は「変化」だ。変化したあとに自分がどうなるかの確証もない中で、不安に思わない人はそうそういないんじゃないかな。
大きく何かを動かす時、ものすごくたくさんのパワーが必要になる。
それだけたくさんの力を持って向き合わないと「やめられない」ものがある。そういうことを、最近ひしひしと感じている。
コンサルタント、という職業?があるよね。
職業っていっていいのかわからないけど。
立場?と表現したほうがいいのか。
依頼主がコンサルタントにお金を払う。その時、対価としてコンサルタントが保証しているものは、基本的には「変化」なのだと思う。
現状を見て、自分ひとりの力では変化を起こすのが難しい時に、人はだれかに相談する。今までやってこなかったことを提案してもらったり、自分以外のリソースを増やしてもらえたり、コンサルタントは依頼主に変化を与えるきっかけを用意し、報酬をもらう。
この構図ってつまり、それまで自分がやってきた【成果の出ない行動や習慣】をやめて、【提案される新しい行動や習慣】に移行する作業であり、そこを1人だけでやるのがむずかしい人が多いから、商売として成り立ってるってことよね。
どんなに優秀な人でもきっと、他人の問題を解決するのはかんたんで、自分の悩みを解決するほうが難しいのだと思ってる。
ここで「いや、自分の問題も解決できないならコンサルタントなんて名乗っちゃだめでしょ」という意見もあるのかもしれないけど、わたしはそうは思わない。自分の問題を解決するほうが、難易度は上がると思う。(どうしたらいいかわからない、とかのレベルなら確かに論外だと思うけどw)
昨日、信田さよ子さんの記事を読んだ。
信田さんの言葉って、すごくスッと入ってくる感覚がいつもあってすごいのだけど、今回はちょっと、自分に痛みを伴ってしまった。痛いところを突かれた、というか、自分はまだまだ浅はかだったのかな……という不安がわいてきた。
少し引用する。
自己責任論、について述べる信田さん。
こういう意見はSNSでもよく見かける。たとえば、「なんでもかんでも社会のせいにしてても何も変わらんから、自分でできることをやらなあかんで」みたいなんとか、「周りを責めてもしゃーない。自分だけが自分のことを変えられるんや」的なやつ。
もちろんそのとおりだとわたしも思うのだけど、一方で、この自己責任論に苦しめられている人が多いのも事実。
「だれかのせいにしちゃだめだ」
「できない自分が悪いんだ」
「もっとがんばらなきゃ」
そんなふうにいつもいつも自分を追い詰めて、今にも壊れそうになっている人を見るたび、わたしはわかりやすい悪者を用意する。
「あなたのせいじゃないよ、それは仕組みの問題なんだよ」と言ってあげたくなる。
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しあわせに生きて、しあわせに死ぬまで
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