今までで最も強烈だったアート体験

今までで最も強烈だったアートを観た体験は何かと聞かれたら、迷わずにMarfaのChinati Foundationへ訪れたことだと言うと思う。その時の体験を5年ほど経ってようやく少し自分なりに言葉にできそうな気がしたので、文章にしようと思う。

2007年の年末、大学3年の時、友人に誘われTexasのMarfaという(たしか)人口2千人ほどの砂漠の中の小さな街を訪れた。TexasのHustonから車を借りて、幾つかの街で休憩をとりながら、直線に延びる砂漠の道を8時間以上ドライブし、夕日に向かって車を走らせ、目的地へついたころには、もうすっかり日が暮れて真っ暗だった。街灯なんかもなく、車が発する光がその街に滑り込んだ感じだった。昼間は暑いのだが、朝夜はひんやり、手がぴりぴりしびれる砂漠の寒さ。

Marfaは、ミニマルアートを代表するアーティストであり美術評論家としても高く評価されているDonald Juddが1977年49歳の時にニューヨークから移り住んだ場所である。1979年、DIA美術財団の援助を受け、陸軍基地跡の廃屋を含む砂漠の土地を、自分の作品や他の作家の作品を恒久設置する場所にするために買い取る。Juddの死後、一部をChinati Foundationが、また一部をJudd Foundationが管理しており一般に公開されている。Juddの自宅とスタジオも近所にあり見学できる。Marfaへ到着した次の日の朝にChinati Foundationに行く。

太っちょねこがオフィスにいた。ここは点在する元陸軍基地を展示の部屋として使っているので、入り口でチケットを買って自由に見てください、というミュージアムとは違い、何時に集合という形で、スタッフの人が歩いて一棟ずつ、鍵を開けて展示室を案内してくれるのだ。植物がちらほら生えた砂漠を見渡しながら、野生の鹿を遠くで見ながら、ぞろぞろと案内されたのはDan Flavinの6棟の建物を使った巨大な蛍光灯のインスタレーションや、Roni Horn<Things That Happen Again: For a Here and a There>が展示されている古びたコンクリートの部屋だったりした。Whiteny MuseumでもRoni Hornの同じ作品を見たことがあるが、ここの部屋で体験するのが一番、作品のコンセプトが丁寧に伝わってくる。係の人がそっと鍵を開けて中に入れてくれるのが、まるでその作品が主の家に招待されたような気持ちになる。凛とはった空気、空間との完璧な調和。

Donald Juddの作品の建物に案内される。大きな窓。差し込む自然光。均一に整列された作品。これらを永遠にインストールするために、作品制作と同時進行でこの建物のリノベーションもJuddの手によって施された。ゆっくりとJuddの作品の間を歩く。金属に自分や他の人の像が鈍く映る。大きな窓から見える風景には、貨物列車みたいな古ぼけた列車が通った。その後もニューヨークなどの他の場所で観た多くの展覧会では、色鮮やかな、力ある作品と出会っているはずなのに、なぜこんなにもこの体験が強烈に残っているのか不思議だった。

この体験は私にとって、静かでささやかであると同時に強烈だった。当時ミニマル・アートについてほとんどの知識を持たなかった私でさえ、知識や言葉を超えた格別な実感がそこにはあった。それらの作品と、空間と、さらにそれを取り囲む世界と時間が目の前にあった。それは自分にとってとても重要なことだった。言い換えれば、その瞬間に自分がMarfaの街の中のJuddの作品の前におり、今もこれから先も永遠にこれらのアート作品がここにある、その瞬間そのこと以上に大切なことがあるはずがなかった。ものごとはそれ以上でも以下でもないように思えた。

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