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なんでもない日

なんでもない日が一番だなあと思う時がある。最近は体が暑さに慣れていなかったり、雨続きで気圧が低かったりで疲れやすく体の元気はないのだけれど、何でもない日を心穏やかに過ごせると安心する。


ある日。在宅の仕事を定時で終えて早めの夕食を済ませたあと、彼と犬のめいことソファでくつろいでいると、彼が「見て、空がきれいだよ」と言った。日が長くなった5月下旬の夕方の空。うろこ雲が青空に広がっていた。

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彼はソファに寝ころびながら「ここから見ると絵画みたい」と言う。同じように寝ころんで見上げると、窓枠が空を切りとって、本当に絵のようだ。雲はどんどん流れていき、やがて日は沈み、夜の空へと変わっていった。

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またある日。朝起きるとめいこがわたしの枕を半分を占領していた。わたしは壁へと追い込まれ、すごく狭い。そんなことも気にせず、まるで人間のように枕に頭を乗せてすやすやと寝息を立てている。あまりに気持ちよさそうだからどかすこともできず、わたしは体を壁にぴたりとくっつけたまま、窮屈に耐えた。

じっとふわふわの茶色い毛を見ていると、匂いを嗅ぎたくなる。そっと鼻を近づけると、いつものめいこの匂いがした。わたしの気配で目を覚ましためいこはパッとお腹を見せて仰向けになった。「さわって」の合図。

やわらかいお腹をなでていると、めいこの向こうで寝ていた彼も目を覚ました。わたしたちを見ると、めいこの真似をして同じようにお腹を見せた。わたしは交互にふたりのお腹をなでる。なんでもない日の朝のことだった。

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ふたりがいれば、ありふれた日常が愛しく思えてくる。もちろんふたりがいてもつらい日やどうしようもない日もあるのだけど、一緒に穏やかな生活を営んでいるうちに徐々に忘れていく。なんでもない日が続いていけばいい。ずっと心穏やかに過ごそうとしても、そうはいかないことのほうが多いのだから。

こんなふうに、なんでもない日の幸せだったことや忘れたくない気持ちを、自分のために残していけたらと思う。そうやって文章にありのままの気持ちや現実を残していくことが、自分の「書く」の原点だったと、最近思い出した。


最後まで読んでくださり、とても嬉しいです!ありがとうございます。