人に優しく
「お友だちに優しくしましょう」
という教育がある。
他人に優しくできた子はすごい。えらい。おりこうさん。
絵本にも、人に優しくできると気持ちいいね、嬉しいね。という描写がこれでもかというくらい沢山ある。
勿論それは生きてく上でとても大事なことであると思し必要な教育だと思う。
もちろん人間は一人で生きていけないし、人に優しくすると自分にも優しさが返ってくるよ。というのを体感するのは自身の成長にも繋がる。
でも、私は思う。
「自分に優しくあろう。自分のことを大切にしよう」っていうのも「お友達には優しくしましょう」と同じレベルくらいで大事にされてほしいなぁと。
自分に優しく、っていうと自分を甘やかすと同意義語っぽくなってしまうけども。
幼児の世界ではよく「貸して」「どうぞ」の文化がある。
前にTwitterで誰かが言ってたのうろ覚えなんだけども、「貸して」に対して「どうぞ」と言えるばかりが良い子というわけではないぞ、みたいなことを。
これ私深く納得してしまって。
確かにそうなのよ。自分が楽しく遊んでる時にいきなりやってきて「かーしーてー!」って言われたって、普通に考えたらすぐに貸さなきゃいけない義理なんてないのよね。
まぁこれは、おもちゃの所有者が自分かそうじゃないかとかで全然また違う話になる。児童館とかみんなで使う前提のおもちゃだったら独り占めはだめだしね。
でも私たち大人は、そこでどうぞができた子をどうしても褒めたたえてしまう。「○○君どうぞできたねー!えらいねー!」と。
きっと私も、娘にそう言ってしまうと思う。
でも例えば「嫌だ貸したくない!」と言ったとしても
そこで無理に貸すように諭したり、もちろん怒ったり叱ったりは絶対だめなんだよね。
そこを、口に出さないまでも「おっ!自己主張してるな!自分の意思ハッキリしてていいやん!」って思ってあげたい
でもやはり向こうの子どもにもママさんがいる訳で体裁はもちろんあるからそんなことは態度に出しちゃいけないし、「ごめんなさいーまだ遊びたいみたいで…」ときちんとフォローはしなきゃならぬ。
めんどくさいなー子ども社会w
貸してー!と言われたら「どうぞ」することが正義だと思い続けた子が大きくなったらどんな大人になるかな?とふと思ったの。
自分を大事にできてる人間は、自信があるし自ら命を絶つことは出来ないと思うのよな。
他人にいい人って思われることにそれほど価値がないって気づくのって歳とってからなのよね。
人に好かれよう好かれようと思って生きてきた人ほど、自分を大事にできていない人が多い気がする。
人に優しくすんのは無理なく程々にでいいよね。
この世の人がみんな、欠点を含め自分のことが大好きと心から言えたらいいのに。
そんな教育を日本に期待したい。けど現実は難しいよね~。