謎解き・バナナフィッシュにうってつけの日04「イノセントネス」
dig フカボリスト。口がわるい。
e-minor 当ブログ管理人eminusの別人格。
☆☆☆☆☆☆☆
どうもe-minorです。
digだよ。
digは前回、シーモアがシビルの水着の色を見まちがえた理由として、「黄色」はこの作品においては欲望をあらわす色だから、無垢なる少女シビルにはふさわしくないせいだって言ったよね。
言ったな。
シビルを無垢なるもの=イノセントネスの象徴とみるのは定跡っていうか、しごくふつうの読解だと思うんだけど、そこはそれで良いわけね。その前には、シビルは多層的なイメージを担う存在だともいってたけど……
イノセントネスはこの短編において少女シビルの本質で、そこだけは揺るがない。彼女は無垢なるがゆえに「神託を告げるもの」にもなるし、「導き手」にもなりうるわけだ。
なるほど。それもまたアイロニーといえるかな。
現実の社会であればそうだろう。けど文学の世界じゃそういう構図はさほど珍しくないんじゃないか。とくにアメリカ文学では。それこそハックルベリー・フィンとかさ。あ。言っとくけどおれ個人は、ことさら子供を無垢だとも純粋だとも思ってないぞ。あくまでも、この作品のコードにおいてって話だからな。
わかってる(笑)。げんにシビルも、このホテルに投宿しているらしきシャロンという女の子のことを、シーモアをめぐる恋敵(ライバル)と見なして嫉妬してるよね。彼女よりさらに幼くて、まだ3歳半くらいの子らしいんだけども。かわいらしいジェラシーとはいえ、嫉妬は嫉妬だ。キリスト教うんぬんでいうなら、嫉妬ってのは何しろ7つの大罪のひとつで……
『鋼の錬金術師』でも、エンヴィー(の本体)はいちばん醜悪な姿で描かれてたわな。
だから彼女はけして「天使」じゃなくて、リアルに人間くさいんだけど、それでも本質としてイノセントなんだね。ところでシュビラは古代ギリシアでアポロンの神託を伝える巫女だって話だったけど、聖書にも「シビルの託宣」ってあったでしょう。
それは外典だよ。正典じゃない。だから「聖書にもシビルの託宣がある。」って言い方は正確ではない。それは後世のユダヤ教徒やキリスト教徒が古代ギリシアの巫女たちに仮託して記した文書だ。
「シビル(シュビラ)」って名前はあくまでもギリシア出自で、それがユダヤ―キリスト教の文脈に取り入れられたってことか。いっぽう、「シャロン」って名前はもっと明瞭にユダヤ的で、ちゃんと旧約聖書にも出てくるよね。
砂漠の多いあの地域で、花と緑に恵まれたとくべつな場所だな。「乳と蜜の流れる地」がカナンで、白いバラが咲き「羊の群がるところ」がシャロンだ。白いバラってのは木槿(むくげ)のことだが。
そのシャロン・リプシュッツちゃんをだしに使って、シーモアはシビル嬢をおちょくりまくるわけだけど、なんというかまあね……(笑)。じゃあ、本文に戻ろうか。「海に入るの?」とシビルが訊いて、「そいつを真剣に考慮中なのさ。君も喜んでくれるだろ?」とシーモアが答えるところまでだった。これは深層においては「汝は受洗するや否や?」という問いかけなわけだから、「真剣に考慮中」だというシーモアの返答はたしかに真率なものだよね。
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