かぎろひ・全12篇
かぎろひ
青ざめた廃語の駅を抜けて 微かに燐のような光を放つ とうめいなさかなを肩口の辺りに纏いつかせたままで しつような卯の花腐しのなかを あなたのアパアトへと急ぐ わたしの傘はティンゲリイの機械のように捩れているから 雨滴はとうに匂いたつ霞の褄となって コートの下のシャツまで湿らせている あれはどういう意味だったのだろう 薄蒼い闇を湛えた部屋の底で かるく熱を帯びた互いのくちびるを離した刹那 このまま革命が成らぬのならば 死ぬよりほかに仕方ありませんね と 夢のようにあなたが呟いたのは…… あなたの眼差がわたしの瞳を捉えるたびに 未知の領土からわたしの頭蓋へひびいてくる細波 微風にそよぐ薔薇のざわめき うっとりとそれを思い それを怖れる やがてわたしはあの軋みたてる階段をのぼり 扉をひっそり叩くだろう わたしをやさしく迎え入れたあなたは すぐにぴったり扉を閉ざし 部屋はたちまち昏く揺らめく羊水に満ちる 透明な魚は悦びに身をくねらせて あなたの ものやはらかな萼に似た ほそく慎ましいからだのまわりを泳ぎまわるだろう そしてわたしを見つめるあなたの目の奥に かぎろひは 陶然と立ちのぼるだろう
うつろい
わたしたちのあいだをしずかにながれるせせらぎのなかで ゆううつは うつり うつろい さみだれは みだりに みだれ とめどない転調を とおい波濤のように繰りかえす けれども その響きを聴くための膜を 藻を もはやあなたも わたしも持たない そもそも もう 聲をはっするための器官すら わたしたちには残されていない 蒙塵をまとったあなたの濛気はあまりに深く 覗きこむのすら容易ならざる懸崖のようだ ひとみの翳りに 靄を 舫って 喪中のように黙せる野を行く まぼろし やがて 路上に描かれた花繪のうえを ただひとり歩みゆくことを許された司祭のように あなたはわたしのからだに身を寄せ 微笑み つつましやかな十本の指で ゆるやかに頸を絞めあげてゆく…… けれど も それは ほんとうに再生の儀となりうるのか かぎりない かぎろひ とめどない とまどい こうやって未明の部屋に搖りかえしながら 臨終の際に遺すことばだけかんがえている くずおれる 葛と 憑り代 しろい 涙液 黄昏に 問い返す 誰そ 彼? と もとより応えはさらになく 流れ寄る 湊の不在に 宇津保なる うつろ舟 うつしだし うつつなくして うつけゆく
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