ナポリの女乞食
ぼくがナポリに住んでいた時のこと。
いつも住居の戸口のあたりに女乞食がいた。ぼくは外出のために馬車に乗る際、きまって彼女に小銭を投げてやっていた。
ところがこの女、ひとことも礼を言わぬどころか、会釈すらしない。ある日ふと、それをふしぎに思ったぼくは、初めてじっくり彼女を眺めた。
ぼくは其処に見た。ずっと女乞食だと思っていたのは、半分腐りかけたバナナと赤土の入った、緑色に塗られた木の箱だったのだ。
マックス・ジャコブ「ナポリの女乞食」より。
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マックス・ジャコブ(Max Jacob 1876年7月12日 - 1944年4月5日)は、フランスの詩人、画家、評論家。
ブルターニュはカンペールのユダヤ人家庭に生まれる。現代詩の先駆者のひとり。パブロ・ピカソやアポリネールと交友を深め、二十世紀初頭の芸術革新運動に加わり、キュビスム、シュールレアリスムに貢献した。絵画的イメージを重視する新詩風を創造。機知とアイロニーを武器に新しい現実の発見を目指し、1917年、詩集『骰子筒』を発表。さらなる音楽性の追求で類似音を重ねる半諧音(assonance)が多用された『中央実験室』や『モルヴェン・ガエリック詩集』を実践。新しいスタイルの散文詩は現代散文詩の手本と言われる。キリスト教改宗後は素朴かつ神秘主義的な宗教詩を書いた。ナチスのユダヤ人迫害に遭い、1944年、ドランシー収容所で死去。
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というわけで、これほどの才能を収容所で死なせるんだから、つくづく全体主義ってのはどうしようもないですね。
この散文詩は奇譚には違いないけれど、おそらく「ヴァニタス」を20世紀初頭ふうに翻案してスケッチしたものでしょう。画家でもあったジャコブはとうぜん、画題としての「ヴァニタス」を知悉していたはずです。
『ヴァニタス』、ピーテル・クラース(Pieter Claesz) 1630年
ヴァニタス(ラテン語: vanitas)とは、寓意的な静物画のジャンルのひとつ。
16世紀から17世紀にかけてのフランドルやネーデルラントなどヨーロッパ北部で特に多く描かれたが、以後現代に至るまでの西洋の美術にも大きな影響を与えている。ヴァニタスとは「人生の空しさの寓意」を表す静物画であり、豊かさなどを意味するさまざまな静物の中に、人間の死すべき定めの隠喩である頭蓋骨や、あるいは時計やパイプや腐ってゆく果物などを置き、観る者に対して虚栄のはかなさを喚起する意図をもっていた。
ヴァニタスは、「カルペ・ディエム」や「メメント・モリ」と並んで、バロック期の精神を表す概念でもある。
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