頑張りすぎなくても大丈夫♡承認欲求は自分で満たせるのです。
強がったり、大きくみせたり、充実をアピールしたり、持ち物を誇ったり、成し遂げたことを掲げたり…。
そんな言動を率直に言葉にすると「承認欲求」ですが、どんなに自然に振る舞おうとしても不思議とその欲求は皆に伝わり違和感を感じてしまう。
(だからこそ現代においてはSNSで様々なコメントがつきますね。)
↑が良くないのではありません。
それを見て憧れたり、違いを認めたり、情報を得たり、憤慨したり、嫉妬したり、受け手にはそれぞれ学びがあります。
けどね、そんなに頑張らなくても、何かを変えようとしなくても、すごい人にならなくても、自分の価値は自分で認めてあげられるのです。
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大きな声で叫ぶ
地団駄を踏む
名前を呼び続ける
ふてくされて黙る
いじわるをする
自分を良く見せる嘘をつく
これは子供の頃に、お父さんお母さんや親戚や先生など大人に構ってほしい、自分を認めてほしい、理解してほしい、愛を感じたいという思いからしてきた行為です。
依存→自立をする成長段階において、こうすることで周りの大人からのレスポンスをもらう、という大切な行為ですね。記憶に残っているものはありますか?(私は泣き叫びタイプと甘え媚びタイプ)
さて大人になった私たち
↑のような表現方法はずいぶん減ったのではないでしょうか。恥ずかしい、みっともない、大人げない、悪いことだ、迷惑をかけるな、そんな一般常識によってこれらを無意識に自制できるようになりました。
しかし心の中にある「〇〇してほしい」は消えたわけではありません。
偉そうに振る舞う
怒りを露わにする
名指しで弾劾する
嫌な存在を無視する
能力や持ち物を自慢する
モラハラパワハラをする
組織や社会の在り方に物申す
他人をコントロールしようとする
子供のころに表現して怒られた、ダメなものとされた、我慢した、自分を否定した部分は、大人になって別の形で表に出てくるのです。
根本の思いは子供も大人も変わりません。
「私のこと認めて!」
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こういった欲求があること、自分には愛が不足していると感じていること、承認を他人に欲していること、環境をコントロールしたいこと。
これらは大人になってもたくさんの人が抱えているものです。他者のために生きることを推奨された世の中においては「自分のこと」を「他人や世界のこと」に置き換えてしまいがちですが、まず自分の中にあるその事実に気づいてあげましょう。
幼い頃周りから充分にもらえなかったと思っているかもしれません。そんな自分を「かわいそう」と感じているかもしれません。だから私はダメなんだ、と更にがんばろうとしているかもしれません。
まずは、本当は泣き叫んで大人(主に父母)に理解してほしかった自分を見つけて、その思いを許してあげてください。そして理解を得るためにたくさんたくさん頑張ってきた自分を褒めてあげてください。
その上で、大人になった私たちはこれらを自分の力で得られるんだということを知りましょう。
構ってほしい
認めてほしい
愛してほしい
慕ってほしい
信頼してほしい
寄り添ってほしい
すごいと思ってほしい
かっこいいと言ってほしい
これらは全て自分で自分にしてあげられること。
心から自分と向き合って、自分に対して行為や言葉で表現することで、自分を満たすことができるのです。
構う
認める
愛する
慕う
信頼する
寄り添う
すごいと思う
かっこいいと言う
これ、目の前の愛する人にはできていませんか?
家族に、友だちに、仕事仲間に、ちょっとした知り合いにすらできるこの「愛の行為」を、実は私たち自分に対して出来ていなかったりします。
それは、いつまでも「他人からしかもらえないもの」と思っているから。
依存→自立の準備はすでにできているのに、まだお互い支え合いたい、必要とされたい、離れたくない、共に在りたいという「根本にある愛」がそうさせているのです。
でもね。本当は私たちは、自立した上で寄り添いあうことができるのです。
みんなが自分で自分のことを認めて愛することができる。他者に欲せずとも自分自身で満ちることができる。
揺るがない土台と軸を持って各々自立している人が集まっている、同じ波動の人が集まるコミュニティって、もう最強だと思いませんか?
だから恐れず、他人への寄りかかりをやめて、自分の震える足で立って、少しずつ少しずつ「大丈夫」「すごい私」「愛しい」「もう全部持ってる」「価値は元々あった」
こんなことを、自分で自分に伝えてあげてください。世界を愛で救う前に、まずは自分を愛で救ってあげましょう。
大丈夫、あなたとんでもない価値を持ってます。
気、づ、く、だ、け!