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悩みは言葉にしなくてもいいから。

 正直に言って、私は「”悩み”があるなら話してほしい」という言葉を時々残酷に思うことがある。

 あの久保田利伸が「言葉にできるなら少しはマシさ」と歌ったじゃないか。誰かを好きな感情だって「好き」という一言で的確に説明できる人がどれほどいるっていうんだ。説明しようとしても必ずどこかに妥協があるし、そんなことよりいっそ抱きしめてしまえば、相手を受け止め合えれば、実は些細な説明なんていらなくなる。何かが通い合う事そのものに、命ある生物として、社会に属するヒトとしての大きな価値があるからだ。

 「悩みがあるなら…」という投げかけの向こうには、そういう相手を受け止め合う世界が描かれていない。私はそう感じる。その先にはその人の価値観で語られる世界しか私には見えない。鬱々としてる時は特にね。答えがあるならそりゃ欲しいさ。でも、それは他人の主導権の下にあってはいけない。せめて、自分の価値観と共鳴するものでないと答えにならない。

 私が何かに立ち止まっているときは、自分の人生の主導権を見失ったり、奪われたり、奪われているという自覚もなく苦しかったり、とにかく何らかの理由で自分の生(せい)をより良くできない状況だと思う。何度もそれを言葉にしようとしたさ。何度も自分を見つめたさ。でも結局何かが違って「未送信フォルダで古くなってく」ばかり。悩んでるときってそんな繰り返しなのよすでに。

 言葉はすべてを表現できない。

 そういう絶望を同時に抱えている可能性に、どうか寄り添ってほしい。

 こんな時代だからこそ、私はそういう絶望を認識して共有できる人でありたい。

 ただのへそ曲がりと言われようが、無理に言葉にしなくていいって言える人に話をしたいし、私もそうしてもらえる存在でありたい。「You may say I'm a dreamer」, 目を見つめて微笑むだけでもいい。肩や手に触れられるのならそれでもいい。背中に文字を書いて当てっこするでもいいし、意味のない電話でもアホなLINEスタンプ送りつけるのでもいいよ。とにかく、核心の悩みを解決することなんか無理してやらなくていいから、一人ではないよと、まるっと受け止めてくれる何かの方が、この世界にはたくさん必要だと思う。

「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」

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