排水口と私
朝、排水口の掃除をしてた時、ふと思い出した恥ずかしい話。
今思えば、自炊に力入れ始めたのもこの頃だったと思います。
今日は、“初めて救急車を呼んだ話”をお送ります。
あれは、寒い寒ーい20〜21歳の年末。
当時、昼間はメイクのアシスタントや自分の仕事、夜はバーテンダー、暇さえあれば定食屋やカレー屋さんで働いて、全力で毎日生きていた頃。
もう12月かー…今年もはやかったなー。
年末は、実家に帰るしバイト先も大掃除があるし。家の大掃除は少しずつやっておこう!と、その日はお風呂掃除をしていました。
夜働いていたBarのおじさんから、排水口用のタブレットを貰っていたので、何も考えずに貰った全部を排水口に入れる。今思えばこれも良くなかった。
どれだけ泡がでるんだろー?楽しみすぎるー!
何を思ったにか、密室で換気扇も回さず、ずっと眺めてしまったのです。
お!?! く、クラクラするぞ…
え…???次の瞬間フーーっと倒れたんですね。
倒れて、頭を打った瞬間、一瞬目が覚めて、
これはやばいやつだ!と認識し、慌てて真冬のバルコニーに裸足で飛び出しました。
体の感覚がない…。やばいぞこれ!!
とっさに、バルコニーから下を歩く通行人に助けを求める。
「た、たすけてー!!そこのあなたー!」
全く声は届かず、もうダメかも救急車かも。と震えながら携帯で119番に電話。
はじめての緊急電話。
「あの、あの、ぶっ飛びそうです。」
住所を聞かれても、頭が真っ白。
「えっと、福岡の…天神じゃなくて、え?何丁目だっけ?」
あ、郵便物見ればいいんだ。立ち上がって部屋に入ろうとすると、焦ってドアが開かない…もうパニックです。
「近くまで来てくれたら、5階のバルコニーから叫びますんでーー涙!」
電話口の女性の方は、「落ち着いて、深呼吸しましょう。今向かっています。」
後数分で助けが来る…。
でも、私このまま死ぬかもしれない。
頭に浮かんだのは母でした。電話を切った後すぐに母に電話し、「おがーさん(ぎゃん泣き)ごーめんねー。親不孝でーーーひっくひっく…あだじぃーしぬかもしれーーんんんん!!」
母「はぁー?なんばいいよーと??何があったとね?お父さん!様子がおかしい、えみの家に行くよ!」
こういう時の、母の行動ははやい。
母の声で少し落ち着き、状況を説明しました。
母「はぁー?排水口のタブレットで死んだとか、聞いたことないわ!笑 あんた死因はそれでいいん?恥ずかしくないん?大笑いもいいとこよ。しっかりしなさい!財布と保険証ば握りしめて玄関におり!」
次の瞬間、
ピンポーン!!!ドンドンドン!!!
救急車が来たぁ!!!
あの時、聞こえるはずがないエアロスミスの
“I Don’t Want to Miss a Thing”が私には聞こえていました。
部屋から飛び出て、救急隊員の受け止めてもらい、気がつくとベットの上で点滴を打っていました。
私、い、生きてる!!
ベット脇には両親と先生。
「もう大丈夫ですよ。原因はタブレットかどうか、確かなことは言えませんが…。何らかの理由でガスが発生していたのかもしてません。が…まぁ、あとは全体的に栄養がちょっと足りてないですね…」
え?栄養??
思い出してみると、深夜までバイトしてお酒飲んで、朝早く出る毎日。食事というよりも、5分で食べなきゃならなかったり、とりあえず食べられればいい。といった感じの不摂生野郎でした。その日も、前日の夕方から何も食べていませんでした。
そして、母からのいつものため息まじりのセリフ
「あんたって子は…」
この頃から、私は食と向き合い始めるのです。
それは、また別のお話。